貧しくなった日本

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 安倍首相が退陣を表明してから、安倍政権の7年8ヶ月振り返る記事が新聞などに出ているが、それらの中に「普通の家庭」が貧しいと感じるようになったと書かれているのがあった。

 人々の実質賃金は増えず、消費税は5%から二度も上がり、10%になった。医療や介護の負担、社会保険料も増え、自由に使えるお金が減り、生活が苦しいという人が増えたとある。

私の住んでいる大阪の郊外の近辺だけを見ても、この何年かの間の変わりようはそれを裏付けているようである。

 今年になってからのコロナによる変化を別にしても、この界隈も知らない間にどんどん変わって来ている。大きなスーパーがなくなり、その後へ入ったのは、百円ストアやチェーンのドラッグストア、あるいはそれに類する何でも屋のような店ばかり。そんな所で、皆さん何をそんなに買っているのかと思うのだが、いつ見ても結構、人が入っているし、レジには人が並んでいる。

 それに対して、デパートなどは、昨年まではインバウンドの客で賑わっていたが、今は食品売り場以外は、これでやっていけるのかと、他人ながら気になるような閑散さである。昔からあった老舗はどんどんなくなり、後に入るのはチェーンの安い店ばかりである。

 そういった冷暖房の効いたショッピングセンターや図書館や市役所の椅子や休憩スペースなどには、いつの頃からか、夏の暑い時や冬の寒い時には、長時間座り込んで暖をとったり涼んだりする老人たちで賑わうようになっている。

 テレビでは、「熱中症に気をつけましょう、夜間もためらわずにクーラーを入れましょう」などと言うが、そうすれば電気代がバカにならない。電気代を気になるので、せめて昼間だけでも外で暑さ凌ぎをしなけりゃと思うのが、貧乏人である。

 家があっても、近頃の家は小さな敷地一杯に建てられ、周りもぎっしり建て込んでいるし、それに合わせて、狭い窓ばかりで、大きな開口部がない。風の入りようがないので、熱帯夜には、クーラーなしでは眠れない。

 最近はここらでは、ひと頃のように、いわゆる浮浪児のようなボロを纏って徘徊したり、道端で寝ている人は見かけないが、川端を散歩すると、いつも決まったように、決まった所に座り込んで、休んでいるのか、涼を取っているのかしている人を見かけることもある。

 スマホが必需品となった今では、無理をしてでもスマホ代を払わねばならないし、勿論部屋代、電気、水道、ガス代も嫌でも取られる。その上、食事代をいくら節約しても、なかなか自由に使えるお金は残らない、何とかやりくりして、生活を切り抜けるのが精一杯という人が多くなっているようである。

 安倍政権だけの責任とは言わないが、一時代前の、「一億総中流」などと言われた頃と比べると、時代が変わってしまったと思わざるを得ない。その頃、中流と思っていた多くの人たちが、今では必死になって何とか生活を維持しなければならなくなっているのである。この十数年の間に日本の国でも、格差が拡がり過ぎて、「普通の家庭」の貧しさが目につくようになってしまったものである。