新型コロナ・パンデミック後の世界

 新型コロナ(Covid19)の世界的なパンデミックで、多くの国で非常事態対応がとられているが、未だ感染者の数は減少には至らず、多くの死者が出、「Stay Home」「Social Distannce」などが続けられているが、未だにいつ収束するかもわからず、経済の停滞、戦前の大恐慌に匹敵するような恐慌の恐れさえ言われている。少なくとも、ここしばらくは続くものと見なければならないであろう。

 こうなると、たとえパンデミックが終わっても、最早、これまでの世界に戻ることはないであろう。パンデミックのために打たれた社会的な対応は、嫌でも人々をそれに適応させ、新しい社会関係を構築してしまうので、新型コロナのない世界に戻ったとしても、既に作られた世界から出発するよりないであろう。

 テレワークの長所はそのまま使われるであろうし、それに伴った半数ずつの出勤などによる経験は、人員削減や事務所スペースの削減、通勤時間の倹約などの工夫に生かされるであろう。人々の仕事のやり方も元には戻らず、家庭あるいは社外での仕事が増え、仕事の場所もこれまでより流動的になるのではなかろうか。当然会議や仕事の決済などの方法もIT頼みになり、印鑑などは消滅するであろう。

 また、家庭にいる時間が長くなると、時間的な余裕ができ、副業が増え、会社から独立して起業する人も増えるであろうし、そのための資格や能力アップの学習なども盛んになるであろうし、それを狙った通信教育も栄え、大学の教育などでもオンラインが盛んになるであろう。

 家にいることが多くなり、ITが生活の中で大きな部分を占めることになり、家でのテレワークやバーチャル会議なども続き、活用されることになるであろう。バーチャル遊びやビデオチャット、ビデオ会議など、パソコンやスマホなどでのやり取りが今よりも強くしっかりと生活の中に組み込まれていくであろう。

 ピアノやお花、お茶、ヨガや瞑想、絵画、クロッキーなどの習い事から、運動、ヨガ、自宅でできる健康法など、さらには買い物、食事や日用品のデリバリーなどもITを利用するようになり、それに伴ってキャッシュレスの時代になるであろうし、電子マネーで処理されることが多くなるであろう。 Vertial Realityなども実生活の中に取り入れられてくるであろう。

 そうなると、直接の人と人との対面関係が少なくなり、人は孤独になり、不安が増えるので、瞑想、座禅、メディテーションなど、それもITを活用した方法が盛んになるのではなかろうか。もちろん、それら遠隔関係を補う対面関係もより重視されることにはなるであろうが、むしろ量的には少なく、纏め役的な役割に利用されることになるであろう。

 こうして家庭生活と職業生活のバランスも変わる。今よりも家庭で過ごす時間が増え、家庭の尊重、個人生活の重視が起こり、ペットや養子、高齢結婚なども多くなるかも知れないし、音楽や絵画その他の比重なども増すであろう。反面、家庭内の葛藤などがより深刻になる恐れも出てくるかも知れない。あまり仕事や家庭生活が濃密になると、人生観、世界観も変わり、返ってボーとしていることに価値が見出されるようなことになるかも知れない。

 しかし、そういったことよりもっと深刻なのは、貧困かと格差の拡大ではなかろうか。パンデミック中の世界中で見られた休業による影響は、内部留保の豊かな上に手厚い補償を得た大企業と、十分な補償もなく仕事を奪われた中小企業や個人営業者、雇用者の格差を拡大し、パンデミックが終わった後の大きな社会問題となるのではなかろうか。

 なお、パンデミック後の世界でも、益々フリーランスや個人営業、パート従業員等が増えるであろうから、国によっては、現在の一律の休業補償などに端を発した社会保障制度として、ベーシック・インカム制度が実現する可能性も考えられるのではなかろうか。

 以上は現状を踏まえた将来の、希望的観測をも含めた、さし当りの予想であるが、新型コロナのパンデミックがどのような経過を辿るのか、それによる世界経済の急激な大転換がどうなるか、もっと文明のあり方自体の予想もつかない大きな変化も起こりそうなので、実際には上記の予想がどの程度当たるのかは全く分からないと言った方が良いのかも知れない。

 いずれにしても、私がいなくなってからのことであろうが、折角人類が長い歴史の中で営々と築いてきた文明であるから、どうのような紆余変遷を遂げるにしろ、人々にとってより良い方向に進んでいってくれんことを願うばかりである。