結婚62周年記念日

 この5月11日は我々の結婚62周年の記念日であった。いつの間にか、もうこんなに年月が経ってしまったのかと驚かされるが、もう上の娘が還暦を迎えるというから、こちらも歳をとったわけである。

 美人の嫁さんをもらったと羨ましがられ、幸福の絶頂であったのもつかの間、上の子が生まれ、やがてアメリカへ行ったり、帰って来て下の子が生まれ、千里のニュータウンに住んで、家族が揃い、すぐ近くで万博があったりで、明るい時代であった。

 しかし、やがて大学を離れ、病院勤めをしたり、四国へ行ったり忙しくバタバタしている間に、たちまち定年を迎へ、あとは産業医などをしていて、いつしかもうこの歳になってしまった。

 その間に娘たちもたちまち成人し、それぞれの道を歩んで、二人ともアメリカに行ってしまった。そのうちに孫が出来て、太平洋を行き来して、会いに行ったり、来たりしているのも束の間の感じ。孫たちも、いつしかもう成人になってしまった。光陰矢の如しとはよく言ったものである。歳をとる程に時の経過に加速度がつくようにさえ感じられる。

 この長い間、ずいぶん自分勝手な生き方をして来たが、女房がよく出来た人で、あまり文句も言わず、子供の世話から家事一切、周囲との付き合いまで、全て面倒を見てくれたので、何とか上手く生きてこれたようなものである。女房には頭が上がらない。旧式な日本人が残っているので、表面的には何も言わないが、陰ではいつも感謝しているのである。

 92歳になったとはいえ、まで元気だが、昨年秋から脊柱菅狭窄症が起こり、歩くのが少しばかり不自由になってからは、女房にとっては身障者扱い。今まで以上に世話を焼きたがる傾向が強くなってきたようである。今では女房がいてこそ生かして貰っているようなものとも言えよう。

 例年この記念日あたりは気候も良い。ゴールデンウイークという連休にも恵まれているので、毎年何処かへ旅行していたものであった。80代ぐらいまでは、外国旅行にもよく行ったが、最近はもっぱら国内となった。昨年は津軽半島から下北半島を回ってきたのが丁度ゴールデンウイークであった。

 しかし今年は新型コロナの影響で旅には出られず、天気の良い青空を眺めながら嘆くばかり。そういえば今年は3月2日の女房の誕生日に計画した由布院への旅行もキャンセルしなければならなかったのだった。

 そこで、結婚記念日にはせめてもと思い、朝早く少しばかりリッチな弁当を作って、五月山の植物園に行き、まだ誰もいないテラスで、緑の山を背景に色々な花を眺めながらゆっくりと朝食をとり、夕方にはワインで乾杯して、柔らかいステーキのご馳走ということにした。

 もう後何年生きられるか分からないが、二人揃って元気なうちは、残り少ない人生を楽しみながら過ごしたいものだと思っている。