老いが攻めてくる

 いつだったかの新聞の”なにわ川柳”欄に、「叫んでも泣いても老いは攻めてくる」というのが載っていた。

 私はやがて九十二歳になるが、昨年の誕生日頃まではだんだん歳をとってきた自覚はあっても、自分では八十歳頃とあまり変わらない生活を続けてこれたと思っていた。

 まだ決まった仕事も月2〜3回ぐらいはこなせたし、毎朝の体操、毎月の箕面の滝参り、近くの散歩も続けていたし、趣味の絵や写真の集まり、ギャラリー巡りや映画、演劇、コンサート、小旅行など同じようなペースでこなせていた。

 もっとも箕面へ行っても、若い人に追い越されるようになったし、何処かへ行った序でに他の所へもといったことが億劫になり、そのまま帰ることが多くなったりというような変化はあったが、普通の日常生活に差し障るようなことはなかった。

 八十七歳の時に心筋梗塞になったが、それも冠動脈の少し末梢寄りの部位の狭窄だけで、その時調べて貰った結果で、他の血管には異常なく、血圧も動脈硬化も糖尿病や肥満など悪い指標が何も見つからなかったので、かえって健康に自信をつけたようなものであった。

 そんな訳で、老いが徐々に進んで来てはいても、特に目を見張るような変化もなく、普通の日常生活を続けてこれたが、どうも昨年の夏頃から老いが俄然攻勢に出だした感じである。

 昨年の夏は地球の温暖化が問題になったぐらい、いつまでも酷暑が続き、今年のオリンピックのマラソンが札幌に変更されるようなことまであったが、そのような暑さのためか、9月頃から全身倦怠感が強く、夏の疲れが仲々取れなかった。また心筋梗塞でも起こったのかと心配もしたが、涼しくなるとともにいつしか薄れ、忘れかけていた。

 ところが十月半ば頃からである。老いが俄然攻勢に出て来たようである。どうも脊椎管狭窄症が起こってきたのか、少し歩くと右足が痛くなり、立ち止まらなければならなくなるが、少し休むとまた歩けるといった状態になって来た。

 10月半ば頃から比較的急に起こって来たので、あるいは前立腺か何処かのガンの骨転移でも出来、神経を圧迫するようになった可能性も考えてMRIの検査もして貰ったが、幸いガンの心配はなく、脊椎管狭窄の程度も軽いと言われ、そのまま様子を見ることにした。

 家の中での行動では足の痛みもなく、生活には何ら支障はなく、従来通りの生活を続けていた。出かけた時の間欠歩行も、多少の変化はあっても基本的には変わらず、時々休みながら歩かねばならなかったが、家から駅までぐらいは何とか歩けたし、箕面の滝までさえも間で4〜5回休めば行くことが出来た。

 まあこのぐらいなら歳からいって仕方がないかと思って、老いと妥協していたが、この2月の10日前後から、老いが俄然暴れ出し、攻勢に出て来たのか、家の中の運動までもが妨げられるようになり、右足の痛みやしびれ感がずっと続くようになり、外での歩行も急に悪くなり、まっすぐ歩こうとすると、すぐに右足が痛くなり立ち止まらなければならなくなり、家から駅までの4〜500米さえ、まともに歩けなくなり、とうとう人との約束を守れず、途中で家に引き返さねばならないようなことにまでなってしまった。

 家の中で動くだけでも右足に痛みを感じ、外での歩行はさらに悪く、道路の電信柱毎に捕まっては立ち止まり、右足を上げてしばらく休まなければ次へ進めない状態であった。自分では、まるで犬が電柱毎に立ちションをしているようなものだと苦笑せざるを得なかった。

 それでもその日が一番悪かったと見えて、その2〜3日後に川向こうのホールで映画を見ることにしていたので、行きは駅まで行って、タクシーを拾い、会場まで行ったが、帰りは4〜5回休みを入れながら、何とかホールから家まで1キロぐらいの距離を歩いて帰った。

 ただし、まっすぐな姿勢では無理で、かなり前屈姿勢で腰を折り曲げてでないと歩けなかった。これまで老人が腰を曲げて歩いているのは背骨の骨粗鬆症のためとばかり思っていたが、骨が悪くなくても脊椎管狭窄症のために腰を曲げて歩く老人もありうることを初めて知った。

 しかし、これまで真っ直ぐに背中を伸ばして歩いていたのが、体を屈めないと歩けないのは屈辱である。やっぱり歩くには体を真っ直ぐ起こして姿勢正し、威厳を持って歩けないと恥ずかしい気がしてならない。

 今や、急に老いに攻勢に出られて我が老体は受け身一方である。そうかと言って、こちらから反撃に出る力はもうない。何とかこれ以上の攻撃を止めるか、弱めて貰って、少しでも平穏を維持出来るようにするのが精一杯という所である。

 こうして次第に老いに食い荒らされて命を縮めていくのであろうか。人にはそれぞれの寿命があるものである。いくつまで生きれるか本人には分からないが、もう老いのなすがままに任せるより仕方がなさそうである。

 最早「気がつけば周りは何処も老いたばかり」である。どっぷり老いに浸かってしまっているからには、こちらから老いに反撃するようなことは出来もしないし、望みもしない。出来るだけ、老いがそっと静かに攻めてくれるよう願うばかりである。その結果、あわよくば、あまり日常生活でだけは苦しまないで、命が終える所まで行けるよう、お手柔らかにと願うばかりである。