老人残酷物語

 少子高齢化が進み、人口減少、殊に生産年齢の人口が減り、労働力の縮小によって社会保障制度の担い手が不足して制度の維持が困難になるというので、政府が目をつけたのが老人である。

 「老人を働かせろ」というのが政府の暗黙の企みなのである。「元気な老人が増えた。長生きになった。百歳時代だ」とおだてるが、本音は「高齢者が多すぎる。要らない。邪魔だ。社会保障費が大変なのだ。支える現役世代の苦労を考えろ」という社会の風潮を煽っているのである。

  老人に言わせれば、「現役時代には長時間労働で働かされ、心血管病で倒れたり、鬱やその他の精神病で過労死で命を落とした人も沢山いた中を、何とか乗り越えて、心も体もすり減らして、やっとやれやれ定年を迎えたんだよ。死ぬ前に、この世でちっとは休ませてくれや。それを楽しみに無理して生きて来たんだよ。」と言いたいところなのである。

「百歳まで生きるとは言わないから。そんなに迷惑をかけるつもりはないから、ここまで来たらちっとは楽させてくれや。」とも言っているようだ。百歳まで生きる人は昔より増えたというだけで、そんなに多くない。もっとも生きていても元気な人は少ない。それより定年になってやれやれと思う頃が、ガンになったり、心臓や脳卒中で死んだり寝たきりになったりする人が一番多くなる時期なのである。

 一概に老人といっても、老人は若者と違って人によるばらつきが大きいもので、元気な者もいるが、病人も多いし、病人でなくても体のどこかが悪くて一人前に働けない者も多い。認知症やその候補者も多いことなどをも考えに入れておかねばならない。 

 そんな老人を政府は働かせようとしているのである。政府はあくまで希望すれば七十歳まで働ける機会を確保する。政府は機会を与えてやるという態度である。体の弱い老人のためには不規則な労働環境も考えるなどともいっている。そうは言っても、老人を働かせるのは簡単である。働かなければ生きていけないようにすれば良い。いやでも進んで働いてくれることになる。

 定年を延長するというが、給料は下がるし、年金の支給は遅くなる。貰えるお金は減る。もともと給与が少なく、蓄えの少ない老人は働かざるを得ないのである。ヨボヨボでも老骨に鞭打ってでも働かされることになる。 

 老人はAIなどの新しい環境にはついていけないし、何でもすることは遅い。若者に命令され、能率の悪さを罵られ、若造に怒られて、老人のプライドが許さない。邪魔者扱い、いじめの対象にもなるなど、老人の働く環境は決して恵まれたものではない。

 つい愚痴の一つもこぼしたくなる。安倍首相の好きな戦前の 「大日本帝国」は「家族制度を大事にして、老人をもっと敬っていたぞ」と言いたくなる。2019.12.21の新聞の川柳にこんなのがあった。「働けよ払えよそしてコロリ逝け」これが政府の本音ではなかろうか。