箕面の滝の月参り

 箕面は子供の頃に住んでいたので、私の故郷のようなものである。その箕面の象徴は何と言っても、箕面の滝である。若いうちはあちこちで暮らしたが、60歳を過ぎてからはずっと池田に住むようになったので、箕面は近く、気軽にしばしば行くようになった。

 箕面の滝へは長い人生を通じて、子供の頃から数え切れないほど行っているが、60歳を過ぎてからは、いつ頃からだったか、”月参り”だなどと言って、毎月一回は必ず滝まで行くのが習慣になった。

 歳をとって早起きになったこともあって、いつも池田4時49分発の阪急電車に乗って、 石橋で乗り換え、5時発の箕面線の初発電車で行くのが決まったスケジュールとなった。

 それで行くと、箕面駅に5時10分頃に着くので、そこから滝まで登って行って、すぐに引き返し、箕面駅6時17分発の電車で帰ることが多かった。このスケジュールで行くと、帰り、石橋で大急ぎで乗り換え、池田駅に25分ぐらい着くので、そこから急ぎ足で家まで帰ると、まだ朝のラジオ体操の後半にどうにか間に合うことが出来た。

 箕面の駅から滝まで5.6kmを、約一時間で往復することになるので、かなりな速さで歩かねばならない。それでも、その頃はまだ健脚だったので、人をどんどん追い抜いて登るのが楽しみであった。 急な坂の所が3ヶ所あるのだが、大抵はそこで他人を追い抜くのが普通であった。

 ある時は、若い人と一緒になり、話しながら登ったことがあったが、相手は若い人だったので、こちらが年寄りなので、そのうちに遅れるだろうから、適当な所からから先に行こうと思っていたようだったが、いつまでも一緒についてくるので、感心していたようなこともあった。

 いつも女房と一緒に行くのだが、坂の急な所になると遅れるので、私が先に行って途中で待つようなことをし、滝の前でも私が先について水を飲みながら、後から来る女房を待つというのが習いになったいた。

 箕面の滝や、滝道の途中の景色、紅葉などについては、既に何度も書いているのでここでは省略する。

 それは別として、このような”月参り”も、60代からずっと続けて、もう30年以上も続いたことになる。毎年秋には、紅葉見物には別に、もう一度は必ず行っているし、子供の頃の分も加えると、滝には少なくとも500回以上は行っていることになろう。

 ところが、90歳を過ぎて、昨年の秋に、急に脊椎管狭窄症になり、間欠性跛行で休み休みでなければ歩けなくなり、とうとう今年に正月には滝まで行けなくなってしまった。しかし、脊椎管狭窄症でも、自転車のような前屈みの姿勢なら、休まずに歩けることを知っていたので、年寄の押すシルバーカーを買って、歩行練習をし、2月からは、それを押して登ることで、また滝まで行けるようになった。勿論、行く時刻を遅くし、途中で何回も休むようにして滝まで上り、下りはシルバーカーを背負って、ダブルステッキを使って、ゆっくり降りるようにすれば何とか行くことが出来た。

 その後も、2〜3ヶ月は同様にして往復し、何とか”月参り”を続けることが出来た。そのうちに先にも書いたように、幸せなことに、脊椎管狭窄症が良くなってきたので、その後は、またダブルステッキで、上り下りすることが出来るようになった。お蔭で、今も月参りは続いている。

 ただ、この間に歩くスピードがすっかり遅くなってしまい、これまで他人を追い越すことはあっても、追い越されることはなかったのに、今では、殆どの人に追い越されてしまうようになってしまった。家族連れの子供までが、さっさと追い抜いていくので、初めはクソと思ったが、次第に慣れて、今では、追い抜かれても、マイペースで悠々と歩くようになった。

 以前は一度も休まずに往復出来たものが、今では途中で2回は休まなければならなくなった。それでも脚が悪かった時には5〜6回も休まなければならまかったことを思えば、良くなったものだと感謝せねばなるまい。

 歩くのが遅くなったことも、休みを取らなければならなくなったことも、歳を考えれば仕方がないことだと諦めている。休み休み、ゆっくり、ゆっくりでも、滝まで歩いて行けることに感謝すべきであろう。コロナでマスクをしているので、余計に遅くなり、疲れやすくなった面もあるかも知れない。

 いつまでこの”月参り”を続けられるだろうかと、ふと考える。