映画「Come and Go」

 マレーシアのクアラルンプール出身で、大阪を拠点として活躍するリム・カーウイ監督の表題の映画が面白い。阪大の大学院を出てしばらく会社に勤めた後、北京で映画を学び、その後世界各地で映画を撮っており、大阪についての映画も「新世界の夜明け」「恋するミナミ」に続く大阪三部作にるらしい。

 北区の中崎町天神橋筋商店街など、まだ古い街並みの残るごっちゃな街のエリアで広げられる、外国人が多言語で織りなすドラマで、日本を知った外国人から見た日本、特に大阪の社会で繰り広げられるドラマが描かれている。2019年の撮影で、まだコロナ以前の大阪であり、158分と少し長い映画であるが、決して退屈しない。

 韓国から来て風俗業で働かされる女性達や、技能実習生として働いているが、親の訃報を受けても帰国出来ず脱走する人、ネパールから来て料理店を持ちたいと夢見る男、台湾からリピーターでアダルトショップを梯子する男、それに付き合う中国から業界団体で来たが、抜け出して単独行動を取る人の出会い、貧困から性的搾取に合いそうになった若い女性、それ等に関わるヤクザまがいの日本人や国籍不明の仲介業者たち、それ等が雑多に入り混じって繰広げられる展開が面白い。

 危機に陥った女性を救って帰国するマレーシアのエリート会社員などもおり、日本とアジアの関係を示す象徴として、人種の坩堝のような大阪の裏の一面がうまく描かれている。外国人から見た大阪という見地からも興味深い。

 今はコロナの流行のおかげで事情も変わっているが、やがてコロナが収まり、2025年の大阪万博開催で、再び多くの外国人を迎えるようになった時に、ここに描かれているような外国人に対する対応をどのように築いていくべきかなどの参考にして貰いたいものである

 

どこまで”忖度”するのか

 森友公文書改竄が問題になった頃、仕切りに”忖度”という言葉が使われたが、今や改竄させられて自殺したの赤木さんの奥さんの裁判で、国側は改竄の事実を認諾し、1億円の国賠で森友改ざん事件を強引に幕引きする禁じ手を打って出た。これも政府の”忖度”によるものであろう。裁判で真実を明らかに出来ないなら、国会で明らかにするべきである。

 改竄を政府が認めているのだから、「首相が資料を全て出せ」「裁判で真実を語れ」と指示すれば真相は明らかになる。それを逃げて裁判を終結させ、改竄の元凶である安倍元首相夫妻を守り、赤木未亡人の頬を金ではたくような卑劣なやり方は、国民を愚弄するものでもある。しかもその金は国民の税金なのである。

 赤木さんの奥さんばかりか、国民が求めているものは、赤木さんを死まで追い詰めた公文書改竄に至る具体的な経緯の真相解明である。この度の裁判の幕引きは岸田首相の安倍元首相に対する”忖度”としか言いようがない。

 赤木夫人も「お金を払えば済む問題じゃないです。私は夫がなぜ死んだのか、何で死ななければならなかったのか知りたい。そのための裁判でしたので、ふざけんなって思います」と述べているそうである。

 問題なのは、この金の支出目的は赤木さんに対する賠償などではなく、あきらかに安倍元首相を守るためにの”忖度で”支出されるものだということだ。これにより岸田首相は国民にも真相を隠したまま、この問題を葬り去ろうとしているのである。

 明らかに法を破って公文書を改竄し、その罪を部下に被せ、しかも自殺に追い込まれた赤木さんの手記まで持ち出して「(自殺の)ターニングポイントになったとは書いていない」などと言い出す安倍元首相は冷酷な鬼畜にも等しい。

 今も多くの国民が忘れることの出来ない森友事件、加計事件、桜を見る会などをこのまま闇に葬ってしまって良いのだろうか。この国の行政のあり方を正すためにも、これらの真相を解明して、将来の政治のあり方に生かすのが政府の勤めだと思うがどうであろうか。

 このままでは国民の政府に対する不信感はいつまでも尾を引くことになりかねない。

 

十二月十三日は何の日か

 十二月八日は太平洋戦争の始まった真珠湾攻撃の日で、今年は80年になるというので、新聞でもテレビでも色々なことが報道されているが、十二月十三日が何の日かと聞かれてもすぐのわかる人は少ないであろう。

 私も知らなかったが、中国の人に教えてもらって驚いた。南京大虐殺の日で、中国では国家公祭日となっているそうである。日本の右翼たちは何とかしてこれをなかったものにしようとして、色々画策してきたが、南京大虐殺は戦後の極東軍事裁判でも明らかにされているし、戦時中の南京在住の外国人の証言もある。その時の映像も残っている。

 当時まだ子供であった私も、南京陥落万歳と言って、旗行列だったか提灯行列だったかを見に行ったし、子供の雑誌に載った中国大陸の地図で、南京に日の丸を書いたことも覚えている。

 当時、二人の将校の100人斬り競争などが新聞を賑わしたし、殺した死体を揚子江に流したが、あまりにも大勢だったので、海軍から陸軍に「死体がスクリュウに引っかかって艦が動けない」という苦情があったという話も聞かされた。

 当時の日本軍は今から思えば、本当に野蛮な軍隊であった。主として銃剣で戦ったような戦争で一方的な勝ち戦だったので、帰還兵たちは自慢したくて仕方がなく、子供にまで前線での略奪や婦女暴行などの自慢話を聞かせていたものであった。そのため、私が最初に覚えた中国語が「クーニャン・ライライ」であった。

 当時の日本軍は補給を軽視し「現地調達」ということを仕切りに言っていたが、現地調達とは占領地で略奪をして自軍を養うことだから、それに絡んで必然的に住民の殺害や暴行なども起こることになる。一般住民もこちらの都合でスパイや便衣隊にされて、殺されることになった。日本鬼子と呼ばれて恐れられていた所以である。

 当時の陸軍では、新兵が初めて戦地にやって来ると、上官が戦争に慣れさせるためと称して、無辜の住民を捕らえてきて棒に括り付け、銃剣で殺害させるようなことが平気で行われていたようである。日本の中学校では、教科で教練という時間があり、生徒が藁人形を銃剣で刺す訓練などもあり、戦争から帰ってきた下士官が指導して「そんなことでは人は殺せん」と怒鳴られたものであった。

 もう戦争を実際に経験した人がいなくなってしまって、戦争の被害については空襲や原爆の記憶が語り継がれているが、日本が侵略した中国や韓国、その他のアジアの国々で侵した加害については忘れ去られようとしている。

 しかし、被害者やその子孫達は、日本人が原爆を忘れないように、日本の侵略によって負わされた被害を決して忘れる筈がない。

 加害者はすぐに忘れるが被害者はいつまでも忘れることが出来ないことは、イソップの寓話「池の蛙に石を投げる子供達」を思い出せばよくわかる。しかし、大都市の空襲や原爆の被害を忘れないのであれば、同時に南京大虐殺も忘れてはならないであろう。

 過去の不幸な出来事は未来に生かすべきである。戦争はどちらの国民にとっても不幸以外の何者も齎さない。戦争は絶対にしてはならない。それが十二月十三日の教訓なのである。 

河原のキャンプ

 十二月に入って寒くなると流石に見なくなったが、我が家の近くを流れる猪名川の河川敷には、気候が良い頃は週末になると決まって一つや二つテントが張られるのが見られる。と言ってもここ1〜2年ぐらい前からの、最近のことである。多い時には四つも五つも点々と並ぶこともある。

 河川敷と言っても、我が家のある大阪側の方は広いが、いくつもの野球場やサッカー場が作られており、それで一杯だが、対岸の川西側の河川敷の方はそれ程広くない。それでもそちらの方が条件が良いのか、テントが見られるのはいつもそちら側である。

 テントといっても、多くは袋状になった一人用のものが多く、時には家族連れのこともある。友人を誘って二人で隣り合ってテントを張っている人も見られる。ほとんどの人はバーベキューでもして、テントで寝るということらしい。

 河川敷なのでオープンな広い空間があるには違いないが、別段景色が良いわけでもなく、山や郊外の広々とした景観が広がっているわけでもない。利用している人たちは概ね近所の住民達である。

 何もこんな所でキャンプをする為に、わざわざテントを買って、運んできて、狭いテントの中で寝なくてもと思うのだが、気候の良い頃の週末にいくつもテントが並ぶところを見れば、家で寝るのとは違った非日常的な経験が出来るので好まれるのであろうか。

 色々想像を逞しくしてみると、最近の家の構造や狭さに関係があるような気がする。一般に狭い敷地に一杯一杯建てられていて、庭がなく、隣の家と接近しているためか、殆どの家は窓が小さく、昔の家の縁側のような大きく広いた開口部がない。極めて閉鎖的な構造になっている。

 その上近隣との交流もなく、仕事から帰って寝るだけの場所となっており、昼間に一人で中に居れば、閉じ込められて窒息しそうは感じさえしかねない。マンションならまだしも、窓外の空間が広いし、ベランダから空が見えるが、密集した一戸建てでは空さえ満足に見えず、閉塞感が強い。気分解放のためにも、自然と広い空間を求めることになるのではなかろうか。

 そういう下地のある所へスポーツ用品屋の商業主義が食らい付いて、テントや関連物品、バーベキュー用品などを売り込み、それにまんまと乗せられた人たちが無駄なものを買い求め、ささやかな河原のテントでの一夜を明かすことになっているという構図ではなかろうか。 

 それでも利用する人たちが、このささやかな広い河原の一夜で、非日常的な気分を味わい、明日からの活力を得られるのであれば喜ぶべきことであろう。

 

 回転寿司の寿司が消えた

 先日久し振りで回転鮨屋さんに行った。4〜5人連れだったので、個室に通された。座ってから、周囲を眺め、寿司が乗って運ばれて来るコンベアベルトを見てびっくりした。レールはカラッポなのだ。回転寿司屋のベルトに寿司がひとつも載っていないのはどうしたことか。もう回転寿司屋は廃業してしまったのか。

 その店もチェーン店だというから他の店でもこんなことが起こっているのであろうか。コロナの流行のために、もう回転鮨屋は廃業なのだろうか?もう元の普通の食堂形式に戻ろうというのであろうか。

 その代わりなのかどうかは知らないが、各座席にはi Padぐらいの端末が置かれており、それがメニューがわりで、全てそこから注文するようになっていた。私たちはランチのセットを注文したが、従来からの普通の店と同じように料理を運んで持ってきてくれた。

 コンベアベルトは空のまま動いていたが、ひとつも寿司が乗っているのを見かけない。単品の寿司を頼んでもベルトは使っていないのだろうか。コロナで客足が落ちたので、従来のコンベア方式では無駄が大きくなるので改めたのであろうか。

 客は結構入っているようだったが。ベルトの前には客も座っていないようであった。これでは全く普通の食堂と変わりがないではないか。コロナ流行で客がベルトの前に座って隣同士が密になるのを避けるためというより、客の入りが悪くなり、コンベア方式では握った寿司の無駄が多くなり、売り上げが減って大変なので、その対策であろうか。

 無駄になったベルトの設備のおかげで、従業員は大回りをして料理を運ばなければねばならず、過重労働になるばかりであろう。まさか、この新しい形式をいつまでも続けようというのではなかろう。臨時の応急手当てであろうか。生き延びるための工夫なのかも知れない。

 やっぱり回転寿司屋ではベルトコンベアによって次から次へと色々の寿司が運ばれてこなければ、何か裏切られたような感じがする。早く回転鮨屋の本来の姿を取り戻してくれることを願って止まない。

世界がもし100人の村だったとしたら

 全く受け売りの話だが、いつか何処かからコピーしていた記事で、消してしまうのも惜しい気がしたので、ここに転記させて貰っておくことにした。

<世界がもし100人の村だったとしたら>
人口構成は
お年寄り 9人、大人 66人、子ども 25人で、
平均寿命は72歳ということになるそうである。世界は日本の現状より大分若い。その中で、
大学を卒業している人 7人、字の読み書きができない人 17人、
屋根無し状態で暮らす人 23人、さらに、電気が使えない人 22人、
トイレがない人 16人、安全な水が飲めない人が 13人もいることになる。
また、
飢餓で亡くなる人が 1人、栄養不足の人 が15人もおり、肥満の人は 21人
経済的には、1日200円以下で過ごす人 が48人もいて、子どもの2人に1人は貧困に苦しむのに、村の富の82%を1人が持っていることになる由である。
これが地球という村ということになるのだそうである…。
 同じこの地球に住む同じ人間の現状がこういうことなのである。その地球の環境が過去の人間たちの活動によって、今や、温暖化が進み、世界の安定が保てなくなって来ているのが現状だと言われている。
 その責任は果たして地球に住むすべての人が平等に負うべきであろうか?現在の地球温暖化やそれに伴う大災害の多発などは、多くが先進国の過去から積み上げてきた産業活動の結果であるから、地球温暖化の責任は当然、主として先進国が負うべきである。
 人類の活動や進歩が止められない以上、先進国はこれまでの進歩してきた形態を改めて、新たな技術や手段を開発して、後進国の同胞の生活を引き上げながら、産業構造を改め、地球温暖化を防ぐ義務があろう。
 これまでの延長線上での先進国優位の世界平等な施策ではなく、過去の地球温暖化に対する寄与率に基づいた将来の施策を行うことが人類全体にとっての平等であり、正義であろう。
 力を持った先進国が自分たちの過去の罪悪を、遅れて来て、その罪悪への加担の少ない後進国に平等な施策を強要することは、決して平等でも正義でもないことを肝に銘ずべきであろう。
 現実が理想通りに進まないことは明らかであろうが、将来の人類の生存、発展を考えれば、やはり全人類の平等な発展とそれを目指した行動を望むべきである。
 
 
 

 

One Coin Concert

  西宮北口兵庫県立芸術文化センター(Performance Art Center,PAC)は出来た時から会員になり、一番よく利用する音楽劇場になっている。そこでいつからかOne Coin Consertという催しが始まって、もう大分長くなる。 

 コイン一枚500円で約一時間ぐらいの音楽会を月に1〜2回ぐらい開いている。近隣の人たちを対象にPAC の宣伝を兼ねて始められたものらしい。初めの頃はこれで採算が取れるのであろうかと勝手に心配もしたが、何とか続いているので、時たま利用している。池田からの往復の電車賃を加えても一人980円で生の音楽が聴けるのだから嬉しい。

 大ホールは2000席あるので、満員入るとして百万円、実際にはまあ7−8割の入りとして70万から80万円。若手の音楽家を呼ぶとしても、出演料に会場費、宣伝費、人件費、事務費など払うとトントンで行ければ良いというぐらいであろうか? 

 定期的に送られてくるパンフレットを見て、時に聞きに行くようにしている。多くは新進気鋭の若手の演者が登場するのだが、まだあまり知られていなくても、演目にもよるが、時には将来有望な才能に出くわすこともある。

 一番最近は12月1日久末航(ひさすえ わたるという)というベルリン在住の奏者によるピアノ独演であった。演目は、

ショパン  即興曲第一番と舟唄

シマノフスキ「メトープ」のセイレーンの島とナウシカ

メンデルスゾーン スコットランドソナタ

リスト リゴレットによるパラフレーズ

 まだ若そうだが、中々達者な演奏で、将来が期待出来るのではなかろうかと思われた。ショパンメンデルスゾーンはそれなりに馴染みもあったが、間に挟まれたシマノフスキはこれまであまり聴いたことがなかったが、あまり派手さがなく、落ち着いたどちらかというと地味な音楽だったが、中々良かった。

 帰宅してからシマノフスキについて調べてみたが、音楽のエンサイクロペディアのようなところにあった同じ曲の音楽を聴いてみたが、生の音と録音された音ではこんなに違うものかと改めて感じ、途中で聴くのを止めた。やはり、音楽は生で聴くに限るようである。