世界がもし100人の村だったとしたら

 全く受け売りの話だが、いつか何処かからコピーしていた記事で、消してしまうのも惜しい気がしたので、ここに転記させて貰っておくことにした。

<世界がもし100人の村だったとしたら>
人口構成は
お年寄り 9人、大人 66人、子ども 25人で、
平均寿命は72歳ということになるそうである。世界は日本の現状より大分若い。その中で、
大学を卒業している人 7人、字の読み書きができない人 17人、
屋根無し状態で暮らす人 23人、さらに、電気が使えない人 22人、
トイレがない人 16人、安全な水が飲めない人が 13人もいることになる。
また、
飢餓で亡くなる人が 1人、栄養不足の人 が15人もおり、肥満の人は 21人
経済的には、1日200円以下で過ごす人 が48人もいて、子どもの2人に1人は貧困に苦しむのに、村の富の82%を1人が持っていることになる由である。
これが地球という村ということになるのだそうである…。
 同じこの地球に住む同じ人間の現状がこういうことなのである。その地球の環境が過去の人間たちの活動によって、今や、温暖化が進み、世界の安定が保てなくなって来ているのが現状だと言われている。
 その責任は果たして地球に住むすべての人が平等に負うべきであろうか?現在の地球温暖化やそれに伴う大災害の多発などは、多くが先進国の過去から積み上げてきた産業活動の結果であるから、地球温暖化の責任は当然、主として先進国が負うべきである。
 人類の活動や進歩が止められない以上、先進国はこれまでの進歩してきた形態を改めて、新たな技術や手段を開発して、後進国の同胞の生活を引き上げながら、産業構造を改め、地球温暖化を防ぐ義務があろう。
 これまでの延長線上での先進国優位の世界平等な施策ではなく、過去の地球温暖化に対する寄与率に基づいた将来の施策を行うことが人類全体にとっての平等であり、正義であろう。
 力を持った先進国が自分たちの過去の罪悪を、遅れて来て、その罪悪への加担の少ない後進国に平等な施策を強要することは、決して平等でも正義でもないことを肝に銘ずべきであろう。
 現実が理想通りに進まないことは明らかであろうが、将来の人類の生存、発展を考えれば、やはり全人類の平等な発展とそれを目指した行動を望むべきである。