どこまで”忖度”するのか

 森友公文書改竄が問題になった頃、仕切りに”忖度”という言葉が使われたが、今や改竄させられて自殺したの赤木さんの奥さんの裁判で、国側は改竄の事実を認諾し、1億円の国賠で森友改ざん事件を強引に幕引きする禁じ手を打って出た。これも政府の”忖度”によるものであろう。裁判で真実を明らかに出来ないなら、国会で明らかにするべきである。

 改竄を政府が認めているのだから、「首相が資料を全て出せ」「裁判で真実を語れ」と指示すれば真相は明らかになる。それを逃げて裁判を終結させ、改竄の元凶である安倍元首相夫妻を守り、赤木未亡人の頬を金ではたくような卑劣なやり方は、国民を愚弄するものでもある。しかもその金は国民の税金なのである。

 赤木さんの奥さんばかりか、国民が求めているものは、赤木さんを死まで追い詰めた公文書改竄に至る具体的な経緯の真相解明である。この度の裁判の幕引きは岸田首相の安倍元首相に対する”忖度”としか言いようがない。

 赤木夫人も「お金を払えば済む問題じゃないです。私は夫がなぜ死んだのか、何で死ななければならなかったのか知りたい。そのための裁判でしたので、ふざけんなって思います」と述べているそうである。

 問題なのは、この金の支出目的は赤木さんに対する賠償などではなく、あきらかに安倍元首相を守るためにの”忖度で”支出されるものだということだ。これにより岸田首相は国民にも真相を隠したまま、この問題を葬り去ろうとしているのである。

 明らかに法を破って公文書を改竄し、その罪を部下に被せ、しかも自殺に追い込まれた赤木さんの手記まで持ち出して「(自殺の)ターニングポイントになったとは書いていない」などと言い出す安倍元首相は冷酷な鬼畜にも等しい。

 今も多くの国民が忘れることの出来ない森友事件、加計事件、桜を見る会などをこのまま闇に葬ってしまって良いのだろうか。この国の行政のあり方を正すためにも、これらの真相を解明して、将来の政治のあり方に生かすのが政府の勤めだと思うがどうであろうか。

 このままでは国民の政府に対する不信感はいつまでも尾を引くことになりかねない。