ワクチンは急いで打つな

 イギリスでコロナのCovic19に対するワクチンが出来上がって、接種が始まったようである。高齢者や持病を持っている人、医療従事者などから優先的に接種を始めるとかで、90歳の女性の接種写真が流されていたが、女王も接種を受けることになっていると報じられたいる。

 アメリカでも接種が始まったようだし、中国やロシアでも、それぞれの国で開発されたワクチンの接種が始まっているようである。日本では、ファイザー社と契約して、全国民を対象とした分を回してもらうように段取りされているようである。来年の春ぐらいから接種が始められ、費用は全額国庫負担だということである。

 WHOはワクチンが貧しい国の人々をも平等に救えるうように、世界で平等に供給されるように手を打つと言っているし、マレーシアかどこかは、既に、中国製のワクチン接種を始めたとかの話も聞いた。

 ワクチンがコロナ対策の大きな柱になることは間違いなく、期待は大きいが、それだけに、わずか一年足らずで作られたワクチンであるだけに、他のワクチンのこれまでの歴史から見ても、慎重に対処するべきであろう。その効果や副作用の問題で、色々なワクチンについて、色々な問題が起きてきたことも知っておくべきであろう。

 これまでのワクチンに絡む歴史を見ても、アメリカにおけるギランバレー症候群が発生した事件、デング熱のワクチンによって、返ってデング熱に対する高感受性が獲得され、中止になったこともある。わが国でも、かってインフルエンザの学校における集団接種が問題となり、その解決に何年もかかったこともある。また、最近HPVワクチン接種の問題がいろいろと議論されて、新聞紙上を賑わしたことも忘れられない。

 長引くコロナの拡大に、ウイズコロナから逃れたいための期待が大きくなりがちで、政府も

国民もすぐにでもとワクチンに飛びつく傾向が見られるが、それだけに効果や副作用などを見ながら慎重に接種を広げていくべきである。

 製薬会社の側から見れば、世界中を相手にした巨大なビジネスであり、副作用などによる危険や補償は全て注文者持ちなので、成功すれば、天文学的な莫大な利益が予想される一大事業なのである。これまでのワクチンの何年にも渡った開発と異なり、世界での競争が激しい環境の中で、短時日で作り上げられたものであるでことも押さえておくべきであろう。

 これらのことを考慮すれば、決して慌てて飛びつくべきではないであろう。すでにワクチン接種によるアレルギー反応なども報告されているようである。ワクチンだけがコロナ撲滅の手段ではないことも知っておくべきである。

 先ずは、イギリスやアメリカなどで始まった接種の結果を見守って、それらを参考にし、たとえ日本で始められるようになっても、結果を見ながら、慎重に考えて行動するのが懸命だと考える。

 

 

 

古墳めぐり

 今住んでいる池田などの、北摂地域は大昔から幾多の人が住み、古墳などが散在していることは若い時から知ってはいたが、仕事が忙しく余分の時間が取り難い現役時代には、古墳の存在などは、つい関心も薄くなり、日常生活の枠から外れた世界のままにして、時を過ごしてきてしまった。

 それでも、長い生活の間には何かの機会に出くわしたり、見たり聞いたりで、いつしか周辺の古墳の名前や場所はかなり知っていたが、年をとって地元をよく散歩したりするようになってからは、積極的に訪れるようにもなった。

 どこの町でも、散歩するとなると、ありふれた普通の商店街や住宅地の続く中で、少し特異な場所ということになれば、公園や池や川などを除けば、神社や仏閣ということになり、無神論者の私でも散歩の目安となっているが、珍しい古墳ともなれば、それよりも特別な目的地となり易い。

 そんな訳で、ごく近くの古墳は今では馴染みの場所になっているところが多い。池田の旧図書館の裏山の五月ヶ丘古墳や、何年か前に綺麗に整備された茶臼山古墳、緑のセンターの横の娯三堂古墳、五社神社の裏の鉢塚古墳などは日頃の散歩コースの範囲内であるし、中山寺の境内にある中山白鳥塚古墳も、お寺に行く度にお目にかかっている。

 少し離れた石橋の近くの二子塚古墳は、いつだったか、たまたま地図で、入り組んだ住宅地の中にその名前を見つけて、わざわざ確かめに行った所である。

 しかし、特別に、古墳に興味があるわけでもなかったので、古墳の好きな人のように、あちこちの古墳を見て回ったり、考古学的な発掘などをわざわざ見学に行く程、関心は強くなかった。

 そんな私が、最近近くの古墳の多いことが気になって、古墳に興味を持つようになったのはこうである。始まりは、地域のコミュニティ新聞か何かに、「中山荘園古墳」という写真入りの紹介記事があり、阪急の売布駅から8分と書いてあったのを見て、それまで聞いたこともなかったし、売布にはよく行く映画館があり、馴染みの場所なので、一体何処だろう、一度確かめてみたいと思ったことであった。

 地図で見ると、簡単に行けそうだったので、ある日訪ねてみたが、見当をつけたあたりを散々歩いてみてもわからない。道が入り込んでいて、行く道、行く道が山で突き当たりになっていて、行き着けない。通りがかりの人に聞いたら、「私は30年来、この近くに住んでいるが知らない」と言われ、公園で休んでいる老人も知らないと言うので、諦めて、出直すことにした。

 しかし、一度行って分からないと、何とか探してやろうと思うものである。幸い下調べをして、再度行った時には、すぐに見つかった。急な山麓に佇むマンションのすぐ横にあり、どうもそのマンションの開発のための工事で見つかったものらしい。小振りな古墳だが、中山荘園古墳といい、八角形をした珍しい古墳だそうである。

 それがきっかけで、古墳への関心が高まったところに、今度は新聞で、恵解山(いげの山)古墳の紹介があり、埴輪がずらりと並んだ写真があったので、女房とともに探しに出かけた。阪急の西大山で降りて、東の方へ進み、JRの上の高架橋を渡ると直ぐの所にあった。後円の部分の半ばは、後の時代に出来た墓場となり、墓石が多数並んでいた。

 こういう時に、女房が図書館で、たまたま北摂の古墳について書かれた本を借りて来たので、拾い読みをすると、すぐ近くで、まだ知らなかった古墳が沢山あることがわかった。それなら少しづつでも、訪ねて見ようかということになる。

 先ずは近くなので、川西の勝福寺古墳へ行くことにした。勝福寺というバス停があるのを知っていたので、すぐに場所の見当がついた。訪ねてみると、なかなか立派なお寺の奥の山に八坂神社という社があり、その参道の途中から、細い道で古墳に行けるようになっていた。比較的最近、整備されたようで、そこから神社の横を通る、林の中の気持ちの良い遊歩道も出来ていた。

 次いで、豊中の桜塚古墳群を訪ねた。名前だけは聞いていたが、これまで行ったことはなかった。阪急の岡町駅のすぐ西にある、大石塚、小石塚のペアの古墳は以前に偶然見つけたことのある古墳で、これも桜塚古墳群に含まれるようだが、今回は阪急線より東側にある、円形の大型古墳である大塚古墳、すぐ隣の小振りな前方後円墳である御獅子古墳、それと少し離れた南天平塚古墳を見て帰った。

 本によると、川西の長尾山から六甲山に続く山並みには、まだ行ったことのない古墳も沢山あるようで、長尾山古墳、万籟山古墳、平井古墳群、雲雀山西尾根古墳群、雲雀山東尾根古墳群、雲雀山古墳群などと書かれている。地図で見ると、これらはいずれも大分不便な山の中にあるようなので、行けるかどうかわからないが、多くの古墳が眠っていることはよく分かった。

  その他にも、この近在では、待兼山古墳や御神山古墳と行った古墳が待兼山近辺にあるらしいし、尼崎の北部の猪名野あたりにも、御願塚古墳、園田大倉山古墳などといった古墳群があるようである。御願塚という名は、誰か知人の宛名で知っていたが、古墳だということや、今はそこが神社になっていることを知った。

 そういえば、池田駅からさして遠くない所にあって、時に立ち寄ることのある宇保猪名津彦神社も、昔は古墳だったようである。

 こうして古墳のことを少し知ってくると、古墳についての見方も少し変わった。学校の歴史で習った古墳の話から、古墳は昔の天皇や貴族がその権力を誇示した大きな墓で、どれも誰か一人を埋葬したもので、当然埋葬者は男性だと思っていたが、本の知識によれば、埋葬品から女性が埋葬者のものも多く、茶臼山古墳もそうらしい。埋葬者も一人と限らず複数のことがむしろ多いことなども学んだ。多い例では、一つの古墳に21の埋葬者のある例もあるそうである。

 また、古墳といっても、方円、円形、八角形、前方後円など色々な形があり、大きさも様々だし、古墳の分布もあちこちで、長い間の有力者の勢力や、家系の変遷などの、大昔の権力者たちの歴史を反映しているものであろう。色々調べれば、飽きない対象となるのではないかと思われる。

 ただ、近在の古墳群を見ただけでも、時代の変遷によって潰されたり、忘れられたりしてきた歴史を経た上に現在の姿があるのであり、折角千年も超えて残って来たものは、出来るだけ大事にいつまでも保存していきたいものである。

 

 

 

 

女性

複数多いのは21体

ガースーとメルケル

 コロナの第三波が拡がって、毎日のように感染者数も死者数も増えている時に、菅首相が「ニコニコテレビ」に出たというので、何を言ったのかと思ったら、先ずは自ら「ガースーです」と言って皆を笑わせ、「GoToが悪者になってきましたね」などと言い、今の所、「GoToを中止する積りはない」と言っていたそうである。

 丁度同じ頃、ドイツでは、メルケル首相が国民に呼びかけて、「コロナで590人とやらの死者が出ている。私はそれには耐えられない。どうか国民はこの年末年始は出歩かないで、家にとどまっていて欲しい」と言うようなことを、怒りを込めたような口調で、体を震わせんばかりに、話している映像が動画で流れたいた。ドイツ語がわからなくても、こちらまで涙ぐむぐらいの熱演であった。

 同じコロナの脅威にさらされている両国の首相が国民に話しかけるのに、こんなに差があるのかとびっくりさせられたのは私一人ではあるまい。文化に違いがあるので、それぞれの首相の国民への話しかけ方も違うのは当然であろうし、メルケル首相が議会のような所で喋っているのと、菅首相が民間のテレビで喋っている条件も異なるが、そうしたことを考慮に入れても、そのあまりにもの違いに驚かされる。

 自分も含めて日本人が可哀想になる。コロナがどんどん広がって、医者を含めたアドバイザーたちがGoToの一時停止を求めている時に、国民に直接何も語りかけようとせず、記者会見にさえペーパーの棒読みでしか答えず、民間のテレビに出て、ふざけてまねをしても、肝心なことを何も話さず、GoToは止めないというのでは首相失格である。

 国民の死より経済が大事だと考えているのであろうか。あるいは旅行業者団体の長である、二階幹事長に気を使っているのであろうか。皆が一致していっているのは、今押さえ込まないとコロナは手に負えなくなるということである。コロナがこれ以上ひどくなれば経済も持たなくなるであろう。

 この時期にGoToを続けるのはもはや犯罪的とも言える。まさかと思うが、勘ぐれば、コロナで死ぬのは主として老人であり、若者は罹患しても治る率が高い。コロナで老人人口が減れば、年金も医療費も節約出来るので、わざとコロナには目を瞑って、経済優先で行こうとしているのではとさえ思いたくもなる。

 せめて、首相は経済優先で行くなら行くで、国民に直接話しかけるべきである。官僚の書いたペーパーを読むので開く、自分の言葉で国民に説明すべきである。それが首相の仕事の筈である。指導者が直接話しかけて、号令をかけねば部下は動かない。官僚が理解してやってくれているから、自分は黙っていても良いと思っているなら間違いである。首相が先頭に立たなければ、危機は乗り越えられない。

 学術会議任命拒否問題についても適切に答えられないし、コロナ対策も的外れである。しかも、自分の言葉で国民に働きかけられなければ、首相失格である。辞めて貰うしか道はないのではなかろうか。国民はもっと声を大にして、菅首相の退陣を求めるべきであろう。

学術会議任命拒否問題はどうなっていくのか

 学術会議任命拒否の問題については新聞でも大きく取り上げられ、国会でも問題となり、学会や大学関係だけでも950を超える団体が抗議の声を上げているが、政府はそれらを無視して、学術会議のあり方が問題だとして、学術会議の見直しに問題をすり替えて、この問題をやり過ごそうとしている。

 この問題の世論は、発表当時はSNSなどへの投稿も多かったが、日を追うごとに書き込みは減少し、残念なことに、「説明不十分」ということでは56%の人が認めているものの、「問題と思う」人が37%に対して、「問題と思わない」人の方が44%と凌駕しており、政府は国会でも、まともに答えられないにも関わらず、この問題に対する反対の声が盛り上がらない現状がある。

 現在強くなってきている社会の分断のもとでは、エリートクラスからはみ出した普通の人達にとっては、学術会議の問題は関心外のことであり、中にはエリートに反感や妬みを持っている人さえ少なくないことがこの問題の反対の弱さに関係が深いようである。

 それを良いことに、政府は初めから、任命拒否の理由についてまともに答えられず、法的に追求されて違法なことが明らかになっても、言を左右して答えず、国会での追求で説明の矛盾や法的な違反を追求されても、頑なに野党の学術会議の見直しなどの問題にすり替えて、強引に無言のまま、この問題を乗り切ろうとしているようである。

 しかし、これは単に学術会議の問題ではなく、現時点はこの国の民主主義にとって重大な分岐点となることを知るべきである。戦前の京大の滝川事件を彷彿とさせるものである。この時には同学の教授たちの辞職などをも伴う強い反対があったが、その二年後の津田左右吉を辞任に追いやった事件では、最早世論の盛り上がりもなく、やがて、なし崩しに軍部の独裁体制になっていった歴史を忘れるわけにはいかない。

 独裁も、戦争も、ある時、突然始まるものではない。一段一段と積み重なっていって、ある時点で気がついた時には、最早、誰も引き返し得ないところまで来ていて、皆で破滅に向かわざるを得なくなったのがかっての大日本帝国の運命であったのである。

 今も既に、自衛隊は長年かけて戦争の出来る軍隊となっており、敵基地攻撃さえ準備されようとしている。破防法や秘密保護法なども成立している。憲法よりも上位の日米安保条約地位協定も続いている。その下での憲法改正についても、今まさに、そのための国民投票法の審議が国会ですすめられようとしている。

 最早、破滅に導かれたあの戦前の社会の空気をひしひしと肌で感じさせられるようになりつつある。この国は再び国民をあの破滅に導こうとしているのかと恐ろしくなる。

 私は歳から言っても、もう長く生きてはいないであろう。しかし、私の子や孫の世代の同胞が、再びあのように惨めな惨禍に会うことには耐えられない。何とかまだ間に合ううちに、平和な生活を続けられるような手立てがないものかと願って止まない。

トランプ大統領のいう選挙の不正  

 日本人の普通の常識から言えば、今回のアメリカの大統領選挙について、トランプ大統領がいつまでも敗北を認めず、法廷闘争にまで持ち込んで不正を主張している姿に、多くの人が異常ささえ感じているのではなかろうか。

 しかし、アメリカでは、このトランプ大統領の選挙結果の否定に対する反応は、日本とはかなり違った感じのようである。第一に、多くの日本人はもう選挙が終わったと思っているのだろうが、各州の選挙人の選択が終わっただけで、選挙はこれから選挙人によって行われるのである。選挙のやり方も、社会風土も日本とはかなり異なっていることを知っておくべきであろう。私はトランプ嫌いで、もういい加減に消えてくれないかと思っているが、アメリカの事情はもう少し複雑なようである。

 アメリカではウオール街占拠や、1%の人が95%の富を独占していると言われた運動からもわかるような巨大な経済格差に加え、経済成長の鈍化、ラストベルト地帯の貧困、エリート層と低学歴の労働者階級との格差の増大、中流の消失、BLM運動などでもわかるように人種問題、メキシコ国境の壁建設などで象徴される移民問題アメリカのメキシコ化などが複雑に絡み合って、近年、社会の分裂がひどくなっていることが背景にあるようである。

  トランプが大統領になった時には「我々の大統領ではない」というデモが起こったが、今度は選挙の不正の主張が執拗に繰り返されているのである。トランプ陣営が負けたとはいえ、選挙の結果は殆ど拮抗するぐらいの支持者がいたことも忘れてはならない。今なおトランプ支持の運動も続けられている。

 もはや一つのアメリカというリアリティがなくなっており、選挙の結果で、敗者が勝者を称えるような時代は終わったとも言えるのではなかろうか。

 日本などと社会風土が異なり、不正選挙やそれに類したことははこれまでもしばしばあり、例えば、選挙名簿への登録を拒否したり、投票所を減らして投票所が遠方にしかないようにして、忙しくて時間のない人や、車がない人は遠くて投票に行けないようにするなど、選挙妨害はこれまでもよく報道されて来たことである。

 そんな風土の中で、今回の選挙に関しても、トランプ大統領は早くから、郵便投票は不正が起きやすいからとの理由で中止させようとしていた事実などもある。日本とは社会が異なり、選挙以外でも考えられないような不正や陰謀が、平然と行われるようなワイルドな社会風土がアメリカにはあるような気がする。

 選挙以外でも、日本では考えられないような陰謀が実行されてきたのがアメリカの歴史だからである。国際的にも、スペイン戦争の時の戦艦ワシントン事件以来、トンキン湾事件イラク戦争の原爆開発疑惑など、明らかな陰謀が繰り返されてきているし、9.11事件でさえ陰謀説が囁かれている。

 そうした突拍子も無いようなことも、決して不思議ではないような風土が日本とは全く異なるので、そのようなことも考慮に入れて判断すべきであろうと思う。

 

マンションの灯り

 我が家の北側の窓を開ければ、道路を行った先の、阪急電車の線路の向こうに五月山が見えていた。季節による山肌の移り変わりや、天候による変化が、秘かな心の癒しを与えてくれていたものであった。

 その手前には、昔は阪急の線路の向こう側に、かなり広い電車の車庫があったのだが、いつの頃からかそこがゴルフの打ちっぱなし練習場になり、駅の西側には、ゴルフバックを担いだ人や、それらしき格好をした人たちの行き来が見られていたものであった。

 ところが数年前であろうか、そのゴルフ場がなくなり、跡地に大きなマンションと分譲住宅が建てられ、そのマンションに遮られて、我が家からは五月山がすっかり見えなくなってしまった。

 今では、北の窓を開ければ、ミニチュアのように見える阪急電車が走って行くすぐ後ろに、14〜5階建ての横幅の広いマンションがどかっと居座わり、無数の窓が並んでいる。朝夕に、窓を開けたり閉めたりする時に、毎日のように、嫌でも近くの景色とともに丁度視線の突き当たりに位置するマンションに並んだ窓を見ることになる。

 土曜日の夜などに見ると、マンションの殆ど全ての窓に灯りがともっている。住民達が皆家で寛いで、リラックスした週末を過ごし、束の間の一家団欒を楽しみ、夕飯でも食べているのであろうかと想像したりする。それぞれの家によって違うのであろうが、中の様子が見て取れるような感じがして、こちらまでが何かホッとした感じになる。

 反対に、真夜中でマンションの建物がすっかり暗黒の闇に沈んでいるのに、一、二軒だけに、ポツリと灯りがついていたりすると、誰かが徹夜で勉強しているのか、あるいは夜なべ仕事でもしているのだろうかと想像し、頑張れよと言いたくなる。

 また、こちらが歳をとって早起きなので、まだ明けやらぬ深夜か早朝に覗いてみることもあるが、そんな時に、一軒にだけ灯りがついていたりすると、何か急変でも起こったのかと思ったり、毎晩続いて同じあたりの窓に、同じように灯りがついていたりすると、交代勤務か何かで早出で、もう起きて朝飯でも食べているのだろうかと想像したりすることにもなる。

 いつものように眺めていると、他が真っ暗な夜中でも、10階あたりに1軒、いつ見ても電気がついている家がある。ひょっとすると電気をつけたままで寝る習慣になっているのであろうか。

 こうして、毎晩のように眺めるともなく眺めてていると、定かではないが、大体、同じようなパターンで、電気のついている家や、ついていない家があり、いろいろな生活パターンが想像出来て興味深い。

 山が見えなくなったのは残念であるが、マンションの窓も眺めているうちに、昔見た「裏窓」というニューヨークのマンションの裏窓を覗くヒッチコックの映画を思い出したりして、いろいろな人生を想像させてくれる。山が見えなくなった今は、無数とも言えるマンションの、窓の明かりの変化を楽しませて貰っている。

 

 

 

五月山の裏側

 池田の五月山といえば、市街地の背景に緩やかに広がる山並みで、今ではその山麓はすっかり団地や住宅地に埋め尽くされて、古くからの街につながっている。山上に通じるドライブウエイやゴルフ場、墓地などもあり、山裾には古墳や公園、お城もあり、動物園や植物園、体育館、美術館などまで備え、桜の名所でもある。

 しかし、大阪の郊外都市なだけに何事も大阪に目が向いており、五月山といっても、その殆どがが南側のことであり、その裏側についてはあまり知られていない。裏側というと、表日本、裏日本という区別が、北陸やその他の日本海側に住む人たちの反発を買うように、決して良い表現方法だとは思わないが、私の住んでいる所から見て、山の反対側という意味に過ぎないことを断っておく。

 北側は余野川に沿って能勢地方につながる道が通り、街道筋は往来も盛んだが、横へそれると、人口も少なく、南斜面に住む池田の住民にとっても、あまり馴染みがない地域となっている。私も一度、五月山の頂上の日の丸展望台の近くから北側の斜面を東山の方に降ったことがあるが、それ以外は、久安寺や伏尾台の住宅へ行く機会はあっても、北側の部落を訪れたことは殆どなかった。

 ところが、先日散歩に山道を通って絹延橋を経て、木部まで歩いた時に、近くに土地の神社やお寺のありことを知り、序でにそれらに立ち寄り、近くを散策して来た。先ず、木部の高速道路の終わりから少し先で、余野街道から少し山の方に入り、村の鎮守の神様であったのであろう記部神社へ行った。

 小さな神社でひっそりと山の麓に佇んでいるが、大きな銀杏の黄葉が美しく、地面も黄色い絨毯になっており、古びた赤い鳥居とのコントラストに目が引かれた。誰一人いなかったが、大きな祭りの山車を入れる背の高い倉庫が並び、かっての秋祭りの賑わいを窺わせていた。

 神社から少し山手に登った所には永興寺というお寺もあり、明治の廃仏毀釈の時代を生き延びた、昔ながら農村の歴史を想像させた。お寺を外から覗いた後、神社の下から横へ続く道があったので、そちらへ行ってみた。

 山裾を迂回するような曲がった道であったが、いつも見る五月山の南側の池田とは違った時代の世界に来たような感じがした。まだ昔風の農家の構えの家が見られ、どの家の周りにも、多くの色々な種類の木や石を配置した庭があり、家のない所にも造園用の色々な木々や庭石が置かれた土地が続いていた。

 丁度秋なので、紅葉や黄葉が入り混じり、山茶花も咲いたりして、山裾の落ち着いた小道が、久し振りで、懐かしい昔の日本の、里山の風景を思い出させてくれた。もうかなり落葉も見られたが、まだそれほど寒くはなく、空も青く、気持ちの良い散策を楽しむことが出来た。

 ただ、昔だったら折角来たのだからと思って、もっとそこから足を伸ばしたところだろうが、今となっては体が許してくれず、残念だが、一休みして、適当に切り上げて、バス停のある所まで歩き、帰らざるを得なかったのが残念であった。