古墳めぐり

 今住んでいる池田などの、北摂地域は大昔から幾多の人が住み、古墳などが散在していることは若い時から知ってはいたが、仕事が忙しく余分の時間が取り難い現役時代には、古墳の存在などは、つい関心も薄くなり、日常生活の枠から外れた世界のままにして、時を過ごしてきてしまった。

 それでも、長い生活の間には何かの機会に出くわしたり、見たり聞いたりで、いつしか周辺の古墳の名前や場所はかなり知っていたが、年をとって地元をよく散歩したりするようになってからは、積極的に訪れるようにもなった。

 どこの町でも、散歩するとなると、ありふれた普通の商店街や住宅地の続く中で、少し特異な場所ということになれば、公園や池や川などを除けば、神社や仏閣ということになり、無神論者の私でも散歩の目安となっているが、珍しい古墳ともなれば、それよりも特別な目的地となり易い。

 そんな訳で、ごく近くの古墳は今では馴染みの場所になっているところが多い。池田の旧図書館の裏山の五月ヶ丘古墳や、何年か前に綺麗に整備された茶臼山古墳、緑のセンターの横の娯三堂古墳、五社神社の裏の鉢塚古墳などは日頃の散歩コースの範囲内であるし、中山寺の境内にある中山白鳥塚古墳も、お寺に行く度にお目にかかっている。

 少し離れた石橋の近くの二子塚古墳は、いつだったか、たまたま地図で、入り組んだ住宅地の中にその名前を見つけて、わざわざ確かめに行った所である。

 しかし、特別に、古墳に興味があるわけでもなかったので、古墳の好きな人のように、あちこちの古墳を見て回ったり、考古学的な発掘などをわざわざ見学に行く程、関心は強くなかった。

 そんな私が、最近近くの古墳の多いことが気になって、古墳に興味を持つようになったのはこうである。始まりは、地域のコミュニティ新聞か何かに、「中山荘園古墳」という写真入りの紹介記事があり、阪急の売布駅から8分と書いてあったのを見て、それまで聞いたこともなかったし、売布にはよく行く映画館があり、馴染みの場所なので、一体何処だろう、一度確かめてみたいと思ったことであった。

 地図で見ると、簡単に行けそうだったので、ある日訪ねてみたが、見当をつけたあたりを散々歩いてみてもわからない。道が入り込んでいて、行く道、行く道が山で突き当たりになっていて、行き着けない。通りがかりの人に聞いたら、「私は30年来、この近くに住んでいるが知らない」と言われ、公園で休んでいる老人も知らないと言うので、諦めて、出直すことにした。

 しかし、一度行って分からないと、何とか探してやろうと思うものである。幸い下調べをして、再度行った時には、すぐに見つかった。急な山麓に佇むマンションのすぐ横にあり、どうもそのマンションの開発のための工事で見つかったものらしい。小振りな古墳だが、中山荘園古墳といい、八角形をした珍しい古墳だそうである。

 それがきっかけで、古墳への関心が高まったところに、今度は新聞で、恵解山(いげの山)古墳の紹介があり、埴輪がずらりと並んだ写真があったので、女房とともに探しに出かけた。阪急の西大山で降りて、東の方へ進み、JRの上の高架橋を渡ると直ぐの所にあった。後円の部分の半ばは、後の時代に出来た墓場となり、墓石が多数並んでいた。

 こういう時に、女房が図書館で、たまたま北摂の古墳について書かれた本を借りて来たので、拾い読みをすると、すぐ近くで、まだ知らなかった古墳が沢山あることがわかった。それなら少しづつでも、訪ねて見ようかということになる。

 先ずは近くなので、川西の勝福寺古墳へ行くことにした。勝福寺というバス停があるのを知っていたので、すぐに場所の見当がついた。訪ねてみると、なかなか立派なお寺の奥の山に八坂神社という社があり、その参道の途中から、細い道で古墳に行けるようになっていた。比較的最近、整備されたようで、そこから神社の横を通る、林の中の気持ちの良い遊歩道も出来ていた。

 次いで、豊中の桜塚古墳群を訪ねた。名前だけは聞いていたが、これまで行ったことはなかった。阪急の岡町駅のすぐ西にある、大石塚、小石塚のペアの古墳は以前に偶然見つけたことのある古墳で、これも桜塚古墳群に含まれるようだが、今回は阪急線より東側にある、円形の大型古墳である大塚古墳、すぐ隣の小振りな前方後円墳である御獅子古墳、それと少し離れた南天平塚古墳を見て帰った。

 本によると、川西の長尾山から六甲山に続く山並みには、まだ行ったことのない古墳も沢山あるようで、長尾山古墳、万籟山古墳、平井古墳群、雲雀山西尾根古墳群、雲雀山東尾根古墳群、雲雀山古墳群などと書かれている。地図で見ると、これらはいずれも大分不便な山の中にあるようなので、行けるかどうかわからないが、多くの古墳が眠っていることはよく分かった。

  その他にも、この近在では、待兼山古墳や御神山古墳と行った古墳が待兼山近辺にあるらしいし、尼崎の北部の猪名野あたりにも、御願塚古墳、園田大倉山古墳などといった古墳群があるようである。御願塚という名は、誰か知人の宛名で知っていたが、古墳だということや、今はそこが神社になっていることを知った。

 そういえば、池田駅からさして遠くない所にあって、時に立ち寄ることのある宇保猪名津彦神社も、昔は古墳だったようである。

 こうして古墳のことを少し知ってくると、古墳についての見方も少し変わった。学校の歴史で習った古墳の話から、古墳は昔の天皇や貴族がその権力を誇示した大きな墓で、どれも誰か一人を埋葬したもので、当然埋葬者は男性だと思っていたが、本の知識によれば、埋葬品から女性が埋葬者のものも多く、茶臼山古墳もそうらしい。埋葬者も一人と限らず複数のことがむしろ多いことなども学んだ。多い例では、一つの古墳に21の埋葬者のある例もあるそうである。

 また、古墳といっても、方円、円形、八角形、前方後円など色々な形があり、大きさも様々だし、古墳の分布もあちこちで、長い間の有力者の勢力や、家系の変遷などの、大昔の権力者たちの歴史を反映しているものであろう。色々調べれば、飽きない対象となるのではないかと思われる。

 ただ、近在の古墳群を見ただけでも、時代の変遷によって潰されたり、忘れられたりしてきた歴史を経た上に現在の姿があるのであり、折角千年も超えて残って来たものは、出来るだけ大事にいつまでも保存していきたいものである。

 

 

 

 

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複数多いのは21体