老人は鞭打たれて働かされる−2

 何年前だったか忘れたが、「老人は鞭打って働かされる」という表題の文章を書いたことがある。

 その頃にはすでに老人問題が注目されるようになっていたからであろうが、最近の世の中の動向を見ていると、いよいよその危惧が現実になるのもそう遠くなくなって来たような気がする。

 何しろ高齢化がますます進み、それとともに少子化も進み、人口が減少していっている。働く世代が減っているのだから彼らの保険料に頼っている老人保険の財政が厳しくなるのは当然で、それが政府にとっては一番の問題のようである。

 それに経済の成長は望めず、少子化にも歯止めがかからないのに、経済浮揚のためや日米同盟強化などによる軍事費の増加などもあり、老人の増加に伴い年々増加していく年金や医療、介護などの費用の増大に如何に対処していくかが益々大きな問題になって来ている。

 当然老人の医療費や介護費用の増大に目がつけられ、自己負担の増大や老人医療の合理化、節約、ことに死前の医療の抑制などが具体的に取り上げられ始めて来ている。

 それとともに老人の社会保障のもう一つの柱である年金についても、年金の支払い開始年を遅らせ、75歳からにしようという案が考えられて来ている。

 あからさまに言えば、老人に働かせて年金を節約し、死に行く老人の医療費は無駄なので削って医療費の増大を抑えようということのようである。

 実際、現在では75歳ぐらいまでのいわゆる前期高齢者には比較的元気な人が多い。個々人についてみても、65歳で定年となって仕事の拘束やストレスから解放され、まだ体力知力もあるし、退職金などでささやかなゆとりもあり、職場関係などの知人、友人との接触もまだあり、75歳ぐらいまではまだ元気で、人生で最も楽しい時期を過ごせる人が多い。

 しかし、それもだいたいは75歳ぐらいまでで、後期高齢者と言われるそれ以後になると多くの人は老化が進み、健康上のいろいろな問題を抱え、通常の社会生活に支障を抱える頻度が高くなるようである。

 そこに目をつけたのが定年75歳案というわけであろうが、注意すべきは人は歳をとるほど個人差が大きくなるという特性である。若者のように、平均値で判断できない大きなバラツキが生じているものである。

 60歳でもすでに体力が落ちたり、病気のために普通の生活が送りにくい人も多い。平均的な姿で基準や物事などが決められると、平均以下の人にとっては過酷な負担が強いられることにもなりかねない。ガンにしても脳心血管系の病にしても最も多い年代は65〜80歳位の人たちなのである。

 個人の能力に応じてと言っても、経費節減が目的とあっては平均的な人が基準とされれば、その人たちがようやく生活が成り立つように調節されることとなるので、平均値以下しか働く能力のない老人にとっては生活すら成り立たないことになりかねない。

 その上、老人の健康は若者と異なり、ゆとりの少ないバランスの上に成り立っているものである。元気な老人といえども、僅かな負担や思わぬ病気で急に生活能力を落としてしまう可能性も多い。ましてや病を持ったり、介護が必要な老人までも働かなければ食っていけない世の中になる恐れもなしとしない。

 若い時からの長期にわたる過酷な労働から解放されて、やっと得られた定年過ぎの開放感、安らぎ感を得た人生最良の短い時間までも老人から奪い、隠居どころか、弱い老人までが鞭打たれても働かざるを得ない図は姨捨山に捨てられた老人よりも酷い残酷な世界ではなかろうか。

 若年層の負担を考えに入れても「長幼序あり、老人を敬う」古来よりの東洋の道徳に照らしても、お金のためにこれまで社会に貢献してきた老人を軽んじることのないようもっと意を払うべきではなかろうか。誰しも必ず歳をとる。老人の処遇は若者にとっても自分の将来を映し出すもので、決して無縁なことではない。

 

 

カタカナ略語

 最近の日本語にはやたらとカタカナ語が多くなった。日本語を学ぶ外国人にとって一番難しいのは難しい漢字や熟語などではなく、カタカナ表示の日本語だそうである。最近のコンピュータ関係の言葉はほとんど外国語、主として英語を訳したカタカナ語だが、それ以外の普通の言葉にも外国語を訳したカタカナ日本語がやたらと増え、我々日本人であっても老人にはわかりにくくなるばかりである。

 漢字の熟語などであれば、漢字が表意文字なので、文字からある程度意味が推測できるので、詳しくはわからなくてもどういう関係の言葉なのか、多少は推測できることが多いが、表音に過ぎないかな文字となると、似たような言葉から推測するぐらいのことしかできず、それも時には全く違った領域の言葉だったりということにもなる。。

 外国語から翻訳されたカタカナ語でも日本的な発音を基にしているので、本来の英語を知っていてもすぐに意味がわかるとは限らない。面白い例を示せば、かの有名な女優のAudrey Hepburnさんは日本ではヘップバーンで通っているのに、明治の時代に来た同姓のDr. James Curtis Hepburnは日本では全く違うヘボン博士と呼ばれて、ローマ字で有名である。同じ姓でもヘップバーンになったりヘボンになったりする。カタカナ日本語と英語は一対一で対応しているとは限らないのである。

 16世紀にポルトガルやオランダの宣教師などがもたらした言葉で日本語に定着したものや、庶民の俗語などでカタカナで書かれているものなどは、すっかり日本語の中に溶け込んでいるから、子供の時から自然に身についているので良いが、近年、といっても多くは戦後になって、入って来たカタカナ語はまだすっかり日本語になりきっていないものが多く、わかりにくいことが起こりやすい。

 ただでさえもそうなのに、最近はそれらの外国語から翻訳された日本語を、更に今度は日本流に省略した言葉を作ってしまうので、益々わかりにくくなってしまっている。始終こういった新しい言葉に慣れている若者にとっては何でもないことなのだろうが、そうでない人たちにとっては日本語でありながら、読めてもどういう意味なのかさっぱりわからない言葉が多くなってしまう。

 例えば次の10の言葉の中、どれだけ意味がわかるでしょうか。若い人ならともかく、そこそこ歳をとった日本人には中々難しい質問ではないでしょうか。

1.アイコ          2.クレカ          3.ケンタ

4.コスパ          5.スケブ          6.パシリ

7.フリマ          8.ポテチ          9.ラノベ

10.レスカ

 答えを見れば、なーんだと思われるでしょうが、いきなりこんなカタカナ語を突きつけられたら、簡単なことでも何の事かわからず戸惑ってしまうのではないでしょうか。

 それでも若者の間では、今もどんどんこのような言葉が大量生産され、大量消費される傾向にあるようです。もう50年も経てば一般にどんな日本語が使われるようになっていることでしょうか。英語ももっと浸透してくるでしょうから、アルファベットも入ってくるでしょうし、今よりもっとひらがな、カタカナ、ローマ字に漢字も混じった日本語の文章になるのでしょうか。

 我々のような今の年寄りには、全くといってもよいほどに意味の通じない日本語が書かれ、話されるようになっているかも知れない気がします。それでもそれらの文字を縦横に使って、新しい素晴らしい日本語になって行ってくれることを願ってやみません。

 

答え:1. アイスコーヒー  2. クレジットカード   3. ケンタッキーフライドチキン4. コスト・パーフォーマンス 5. スケッチブック    6. 走り使い

7. フリーマーケット    8. ポテトチップス    9. ライト ノーベル

10. レモンスカッシュ

「ありがとう」はポルトガル語からか?

 何かの話のついでに、有難うと言う言葉の語源が話題にのぼり、これがポルトガルの宣教師がもたらしたobbligado(=感謝している)から来ていると言う説が出た。これは時に聞かれる説であるが、辞書などでは多くは俗説だとして退けられているようである。

 少し調べてみると、「ありがとう」と言う言葉は「有り難し(ありがたし)」即ち「有る(ある)こと」が「難い(かたい)」から来ているもので、本来は「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」と言う意味を表したもので、枕草子の「ありがたきもの」では「この世にあるのが難しい」「過ごし難い」といった意味で使われていたものとある。

 ところが中世になり、「有難し」は「仏の慈悲など、貴重で得難いものを自分は得ている」という考えから、宗教的な感謝の気持ちを表すようになり、近世以降、感謝の意味として一般に広がり、今日の「ありがとう」と言う言葉になったと言うのが一般的な説明である。

 従って16世紀に南蛮人がやって来る前からある言葉で、ポルトガル語に由来するとするのは俗説と言わざるを得ないと言うのが大勢のようである。

 ところがその頃は「ありがとう」に当たる感謝の意を表す言葉としては「かたじけない」と言う表現がもっぱら使われていたそうで、「ありがとう」が広く使われるようになったのは江戸時代になってからと言われる。

 ポルトガル語と同じラテン系のイタリア語ではobligatoとなるので、「オリガトウ」だから、もう「ありがとう」にそっくりである。英語でも「大変有難う」などと言う時にmuch obligedなどと言うではないか。それに宣教師がもたらして日本語として定着しているポルトガル語の多いことも考えに入れるべきだろう。

 カステラ、ビスケット、コップ、パン、シャボン、ブランコから、漢字まで当て嵌められている金米糖、襦袢、合羽、如雨露、木乃伊などまでそうと言われているし、名詞以外でも「おんぶする」とか「ピンからキリまで」とか「おいちょ株」の「おいちょ」までポルトガル語由来なのだそうである。

 これらのことも踏まえて想像すれば、16世紀の後半にポルトガルの宣教師がやって来て、人々が異国の物珍しい色々な物に接し、その言葉を聞くようになると、必然的にそれらの珍しいものを手に入れたり、聞きかじりのポルトガル語を真似してみたりするのが流行し、それがハイカラに見え、人にも自慢するようなことがあったとしてもおかしくない。流行が次第に周囲にも広がっていき、社会に定着していくことはよくあることである。

 そう考えると、「かたじけない」という代わりに、従来からあった「有難し」という言葉にも引っ掛けて、「obligato 」即ち「ありがとう」と洒落てみた人があったとしても決して不思議ではない。それが巷に広がって行って、いつしか普通のの日本語となって「かたじけない」と入れ替わってしまったという可能性も十分考えられるのではなかろうか。

 「ありがとう」のポルトガル語由来説を俗説として頭から切り捨てるより、間違っていたとしても、そう考えてみる方がロマンがあり、楽しい気がするのは私だけであろうか。

 

老人の死因:老衰から肺炎へ、そしてまた老衰へ

 戦後間もない頃は、日本で一番多い死因は結核で、伝染病による胃腸病とか気管支炎肺炎なども多かったが、世の中が落ち着いてくるとともに、結核感染症が減り、以来ずっと脳卒中にガン、心疾患が3大死因となり、ガン、心疾患、脳卒中の順のまま近年に至っている。ところが最近は人口の高齢化のためであろうか、ここ1〜2年肺炎が3位に食い込んで来ている。

 そして、これらに続く4位、5位あたりを占めるのが、これまで大体、不慮の事故や、肺炎、老衰と言ったところであった。

 ただ、このような死因統計の元になるのは医者の書いた死亡診断書ということになるが、実際に個々の例について死因を確かめるのは、いろいろなケースがあって、いつでも簡単に決められるとは限らない。

 全ての死が医者の診療期間中に起こるとは限らないし、突然の死もあるし、受診していたとしても、診断が未確定の場合も多いであろう。そういう場合には診断名も推定に頼る他なかった。しかも、昔は診断機器も少なく、検査方法も限られていたので、その推定も今よりはるかに大まかなものにならざるを得なかったであろうと思われる。

 癌や脳卒中のように比較的判りやすいものもあるが、症状が出にくいような病気や高齢者などではその判断はより困難になる。したがって原因の如何によらず、自然に誰もが経過する心肺の停止などにより、心不全とか呼吸不全というのが死因にされたり、老人であれば明らかな原因が分からない限り、ほとんど老衰という病名がつけられるのが普通であった。

 昔は老人も少なかったし、それでよかったが、社会の高齢化とともに老人が増え、医学の進歩や、医療の分化も進み、診断能力が向上し、その上世界的に死因分類を統一しようという傾向が強くなり、出来るだけ曖昧な病名を避けようとする機運が高まってきた。

 そのため、厚生省も「高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、いわゆる自然死の場合のみ用います。」と老衰死を定義したり、心不全や呼吸不全などの死因についても注意を促し、出来るだけ直接死因につながる局所病変を優先するように指導した。

 その結果、老人は年々増加して来たが、死因としては老衰の死因は減り、肺炎などで死ぬ者が多くなって来た。しかし、多くの老人は老衰していく中で肺炎を起こして死に至るもので、老衰と肺炎は共存し、お互いに影響し合う切っても切れない関係にあるものである。

 年月を経て傷んだ陋屋が大風によって倒れた場合のようなものとも言えよう。家屋の傷み方がひどければ僅かな風でも倒れるし、家屋が多少しっかりしていても風が強ければ倒れる。これを当てはめれば、前者であれば老衰が死因と言うべきであろうし、後者であれば肺炎が死因とする方が良いであろう。

 ただ、どこで線を引くべきかは必ずしも明らかではない。全体像を重視するか、強力な因子となった部分をとるか、見方によっても変わってくる。

 これまでは分化する医学や社会の傾向に乗って、肺炎の方が重視されて来た。しかし肺炎は老衰に伴ったものとは限らない。全ての年代に起こりうるもので、それに対する治療も工夫が重ねられて来ている。

 しかし、老衰に伴う肺炎は若年者の肺炎とは同じようにはいかない。肺炎の加療が若年者と同様に成功しても、それを老軀が支えてくれないことが多い。そのため同じ治療でも不成功に終わったり、成功してもまた再発したりすることにもなりかねない。

 そのような経験が積まれたこともあり、高齢者の増加や時代の変化にも乗って、老衰がまた見直されることとなり、最近では肺炎よりも老衰を重視する傾向が再び強くなって来ているようである。老衰は肺炎をほぼ包括するものであり、死因としても、部分としての肺炎よりも全体としての老衰とする傾向になって来た。

 どちらが良いかは別としても、現在肺炎が脳血管障害を抜いて死因の第3位になったが、やがては老衰がそれらを抜いて主な死因に登ってくるのではなかろうか。老人の主な死因はかっての老衰から肺炎に移り、今また老衰に移ろうとしているようである。

 科学的な医学の分化が進む一方で、社会の変化が否応無しに包括的な医療の対策を求めるのに並行して、老衰を非とした肺炎が再び老衰に置き換わる傾向は、分化と総合の関係の時代よる変遷を象徴しているようで、ある意味では、行き詰まる世界に未来への道筋を示唆するわずかな光明なのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安倍内閣は宗教政権

 第三次安倍内閣の閣僚の一覧表がインターネットに載っていたので見て驚いた。

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 ここにも書かれているように、安倍首相をはじめ

20人のうち18人が神道政治連盟国会議員懇談会に属しているのである。

 戦後占領軍の命令もあり、それまでの現人神だの神祐天助、皇軍などの言葉だけからでもわかる国家神道を政治とは切り離し、政教分離を建前として政府が運営されて来たはずなのに、いつのまにか閣僚のほとんどすべてが神道の信者であるらしい。

 政治家であるから、自分は信じていなくても宗教連盟に加盟している大臣もいるのだろうが、これだけ大多数の閣僚が神道政治連盟に属しておれば、その連盟の理念や綱領、その活動方針が政治に影響しないでは置かないであろう。

 もちろん信仰の自由は保障されているから、閣僚がどのような宗教を信じようと自由である。閣僚の神道政治連盟国会議員懇談会は一般の神道政治連盟とは別組織になっているし、たまたま同じ宗教を信じる人たちが同じ内閣の閣僚に選ばれたということもありうるとしよう。

 しかし、同じ閣僚のまた大部分の14人が超右翼勢力と外国にまで広く認識されている日本会議にも属しているのを見ると、誰しもその異様さに驚くのではなかろうか。こうなると、これらの組織の活動方針と政府の方針が無縁ではありえないであろう。

 これまでの国会での動きを見ると、神道政治連盟が中心になって、元号制定化、国旗国歌法、昭和の日制定、選択的夫婦別姓制度導入阻止などを行なって来ているが、今後もますます戦前復帰の憲法改正国旗掲揚、国歌斉唱の強制等の運動に加担していくことであろう。

 しかし、一般国民の信仰の自由はどこまでも守るべきで、大日本帝国のように神道は宗教ではないとして国民に神道を押し付けることは許すべきではない。神道を押し付けることは他人の心の中まで踏み込んで、他の信仰を抑圧することだからである。信仰の自由は基本的な人権として絶対に譲るべきではない。

 私は戦争で神にも仏にも裏切られて、戦後は全く宗教を信じなくなった。他人の信仰は尊重するが、戦後は神社やお寺に行っても拝んだことはない。神道は宗教ではないと言われてもそれに従うわけにはいかない。天佑を信じ、天皇陛下万歳と言って死んでいった多くの兵士のためにも神道に与するわけにはいかない。

 

私の終活

 卒寿ともなれば、いくら元気でも、そろそろ人生を終える準備もしておかねばなるまい。ましてや私の場合、娘たちが二人ともアメリカへ行ってしまって、あちらに永住してしまっているので、日本にいるのは女房と二人だけなのである。

 昔は沢山いた親兄弟もいつの間にか減って、親のいないのは当然として、五人の兄弟も今は姉一人、弟一人で、姉はグループホームに入っているし、弟は遠くにいてパーキンソン氏病であまり動けないので、いずれも何かの時のあてにはならない。

 女房がいる間はよいが、お互いいつまで生きているか誰にもわからない。年からいえば、残り少ない間にどちらかが欠けることも当然考えておかねばならないだろう。一人になってから死んだ時のことも、どうするのがよいか、娘たちが日本にいないだけに心配になる。

 そんなことで、相続の手続きなどは早くから遺言信託などを頼んではいるが、死後、葬儀や相続の手続きなどのために、娘たちがアメリカから戻って来ても、そうそう長期間は滞在できないであろうし、相続の具体的な手続きや遺産の整理だけでも大変だろうと思い、そろそろ終活をして、身の回りのものを整理しておかねばとは以前から思っていたが、実際に行動に移すとなるとなかなか大変である。

 身の回りの家具や日用品、衣類などといったものは比較的簡単に分けられるが、問題は長年の間に溜まったガラクタの類である。他人にとっては値打ちがなくても、自分にとっては過去の思い出につながるものは、生きている限り愛着があって捨てるに忍びないものが多い。従って、捨てるものと保存するものの仕分けが難しい。

 それでも仕事の関係のものは、もはや過去のものとして思い切れば、大部分のものはまだ処分しやすい。趣味の関するものでも、道具類などは分けやすい。難しいのは趣味の作品や、自分や家族の歴史に繋がるものである。それにあちこちバラバラに収納されてしまっているものをかき集めて分類し、処分するかどうかを判断し、その手続きを進めていくのも思いの外大変である。

 このところ実際に進めた処分の結果はこうであった。先ずは最早使うことのない膨大な医学書や雑誌、論文その他の書類などを思い切ってほとんど捨てた。分厚い医学書などは今ではただのようなものであったが、本棚の空間はだいぶ開けることができた。それでもまだ医史学関係や医学や医療に関する一般書はかなり残っている。

 ついで、収集していた切手を処分した。若い時に友人がその都度斡旋してくれて、いつのまにか溜まったかなり大量の収集切手を整理して分類し、何回かに分けて売りさばいた。これは思ったよりも良い値段がついた。

 続いて、古くから溜まるに任せていたハッセルの中判を含む20を超える中古カメラや三脚、その他の付属品を売りさばいたが、こちらは嵩が高く、持ち運びだけでも大変で女房にも助けてもらったが、フイルム時代のものばかりで大した値段にはならなかった。それでも物入れの空間を開けるのには役立ったのではなかろうか。

 それが済むと、今度は絵画や版画、写真などで、額に入ったまま物入れに眠っていたものを集めて画商に見てもらった。ところがあるのは中途半端なものばかりで、少しぐらい名の知れた画家の売り絵のようなものはあまり価値がなく、画商の言うには「何か一つでも目玉になるようなものでもあれば、他のものも一緒に引き取るが、目玉になるものがない」ということで引き取ってくれず、結局、これらは古物商に委ねることになった。

 あとはその古物商である。古い食器や花器、飾り物、記念品や贈り物の類、古い紫檀の机、顕微鏡その他、それに上記の絵画類などのガラクタを全て一緒に、古物商を呼んで見てもらい、引き取ってもらった。女房の描いた絵にまで小額にしろ値段がついたので女房は喜んでいたが、車に一杯積み込んで持って帰ってもらえたので、ずいぶん押入れの中をあけることができた。もらったお金は女房と折半した。

 その他、仕事関係の写真や、親の代の写真の類や収集品などはあらかた捨てたが、家族の写真、子供達が小さかった時の作品や孫の作品などはだいぶ整理をして処分もしたが、多くは捨てられずに残した。

 それにも増して捨てがたいものは自分の描いた絵や写真の作品類である。女房の過去の油絵も額付きなので嵩が大きい。膨大な時間をかけて、できるだけ判別して良いものだけ残すようにしたが、選んでもなかなか量は思うようには減らない。

 それに長い間にあちこち旅行した時の関連書類やパンフレットの類を旅行ごとにまとめたものが、それだけでもかなりな量になり、未だ手付かずになっている。

 こう言った類いのものはできるだけ中身を見ずに思い切って捨てないと、中を見だすと思い出につながって、捨てられるものまで捨てられなくなってしまう。

 現段階で、大分身軽になったとはいえ、まだまだ残っているものも多い。時間をかけて少しずつ片付けていかなければならないだろう。

 その上、まだ押し入れの中には布団や枕、毛布、敷布、座布団などのような繊維のものがいっぱい詰まっている。これらは嵩高いので勝手には捨てられず、いつか纏めて何処かに引き取ってもらうより仕方がないであろう。終活といっても本当に大変である。

 長い間に溜まったガラクタは結局長い時間をかけて徐々に処分していかねば仕方がないようである。これでは、片付くのが先か、こちらの命がなくなるのが先かはわからない。

 

むやみに J-アラート を使うな

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 28日のこのブログで、北朝鮮の危機を政府が煽っていることを書いたら、その翌日の朝6時にJ-アラートやらで国民は叩き起こされ、「国民保護に関する情報」として、「ミサイル発射、ミサイル発射、北朝鮮からにさいるが発射された模様です。頑丈な建物や地下に避難して下さい」とびっくりさせられる事となった。

 しかし、その警報の範囲があまりにも広すぎ、日本の北半分近くにもなり、そんな広い範囲の何処へ飛んでくるかもわからないミサイルに対して、急いで何処へ避難して良いのか、頑丈な建物や地下室が近くにあるとは限らず、どう対処して良いのかわからない馬鹿げた内容であった。ただ国民を怖がらせるだけで、国民保護どころか国民を愚弄するようなもので、安倍内閣が天佑とばかりにこの北朝鮮のミサイルを利用してさらに大々的に危機を煽っている様子が明らかになった。

 インターネットに安倍首相が金正恩に電話して、「加計学園問題が難しいので、また一発やってくれないか」とミサイル発射を頼んでおり、両者はつるんでいるのだとするフェイクニュースを誰かが仕立てて載せていたが、それもありうるとさえ考えられる状況と感じる人がいるからであろう。

 安倍首相の発言を見ても、朝の会見早々、故意かどうか「我が国北朝鮮がミサイルを発射した」と言ったし、「発射直後からミサイルの動きを完全に把握していた」と言い、ミサイルが我が国を狙ったものでなく、日本を飛び越していくことも知りながら、国土の半ば近くの広範な地域に国民に避難を勧めるるJアラートを出すなど、どう見ても国民保護どころか、国民を脅し、怖がらせて、緊迫した情勢を作り出し、自らに失政を隠し、政府の支持を増やし、軍備増強しようと計算して行動しているとしか思えない。

 そもそも弾道ミサイルといっても爆弾を積んでいるわけではないのである。いわば空の爆弾である。万一落ちたところで大きな被害が出る可能性は初めから少ない。国民の上を自由に飛ぶオスプレイや米軍機の方が危険ではなかろうか。アラートの発令は内閣官房が人為的に決めることになっていることを知れば、ますます怪しくなる。

 Jアラームはあちこちで警報の不備もあったということなので、警報システムのチェックには役だったかも知れないが、そのため学校が休校になったり、電車が止まったり、社会的にもかなりのの弊害も見られたようである。こういうアラートは戦時中の「空襲警報」のようなものであるから、適時に的確に行われないと人々の不安を煽るだけで、信用を失くせば、いざという時に返って危険なことも考えておくべきであろう。

 これだけ広範囲の国民に避難を呼びかけながら、原発の一時停止をしていないのも馬脚を現しているところであろうか。このミサイルが我が国の上空を越えていったというが、上空ではなくて大気圏外のはるかに高い、人工衛星の軌道よりもさらに150km離れた、高度にすれば550kmの軌道を通過したものであり、我が国の上空通過というのも問題があるし、襟裳岬の東方1150kmに落ちたというが、この距離は平壌と東京の距離より遠いのである。いずれも無理に危険と結びつけている表現の仕方であることも気になる。

 イラクリビアの前例から北朝鮮が核やミサイル開発が自衛のために必須と感じているることも理解できるし、アメリカ主導の国際社会で「集団いじめ」にあっているような四面楚歌の北朝鮮が自らのの生存のために必死になっている姿を見れば、国の体制の如何にかかわらず、この問題の解決は話し合いか、さもなければ朝鮮半島や日本列島の全面的崩壊を来す戦争しかないであろう。

 アメリカにとって後者に突き進むだけの利点はないので、恐らくすでに始まっているでろう北朝鮮とアメリカの水面下の交渉の先に希望を託しているものと思われる。そこまで読めば、安倍政府の現在のやり方はアメリカの方針ともどこかで乖離していく恐れが強い。目先のことに捉われて更なる将来を誤らないことを望む。

 国民保護のためには小さな利己の利益より、北朝鮮を含めた東アジアの安定した平和を築くために、意味のない圧力より、6ヶ國協議のような東アジアや関係国の話し合いの復活を通じて、北朝鮮の立場も尊重した平和的な協調を進めてほしいものである。