老人の死因:老衰から肺炎へ、そしてまた老衰へ

 戦後間もない頃は、日本で一番多い死因は結核で、伝染病による胃腸病とか気管支炎肺炎なども多かったが、世の中が落ち着いてくるとともに、結核感染症が減り、以来ずっと脳卒中にガン、心疾患が3大死因となり、ガン、心疾患、脳卒中の順のまま近年に至っている。ところが最近は人口の高齢化のためであろうか、ここ1〜2年肺炎が3位に食い込んで来ている。

 そして、これらに続く4位、5位あたりを占めるのが、これまで大体、不慮の事故や、肺炎、老衰と言ったところであった。

 ただ、このような死因統計の元になるのは医者の書いた死亡診断書ということになるが、実際に個々の例について死因を確かめるのは、いろいろなケースがあって、いつでも簡単に決められるとは限らない。

 全ての死が医者の診療期間中に起こるとは限らないし、突然の死もあるし、受診していたとしても、診断が未確定の場合も多いであろう。そういう場合には診断名も推定に頼る他なかった。しかも、昔は診断機器も少なく、検査方法も限られていたので、その推定も今よりはるかに大まかなものにならざるを得なかったであろうと思われる。

 癌や脳卒中のように比較的判りやすいものもあるが、症状が出にくいような病気や高齢者などではその判断はより困難になる。したがって原因の如何によらず、自然に誰もが経過する心肺の停止などにより、心不全とか呼吸不全というのが死因にされたり、老人であれば明らかな原因が分からない限り、ほとんど老衰という病名がつけられるのが普通であった。

 昔は老人も少なかったし、それでよかったが、社会の高齢化とともに老人が増え、医学の進歩や、医療の分化も進み、診断能力が向上し、その上世界的に死因分類を統一しようという傾向が強くなり、出来るだけ曖昧な病名を避けようとする機運が高まってきた。

 そのため、厚生省も「高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、いわゆる自然死の場合のみ用います。」と老衰死を定義したり、心不全や呼吸不全などの死因についても注意を促し、出来るだけ直接死因につながる局所病変を優先するように指導した。

 その結果、老人は年々増加して来たが、死因としては老衰の死因は減り、肺炎などで死ぬ者が多くなって来た。しかし、多くの老人は老衰していく中で肺炎を起こして死に至るもので、老衰と肺炎は共存し、お互いに影響し合う切っても切れない関係にあるものである。

 年月を経て傷んだ陋屋が大風によって倒れた場合のようなものとも言えよう。家屋の傷み方がひどければ僅かな風でも倒れるし、家屋が多少しっかりしていても風が強ければ倒れる。これを当てはめれば、前者であれば老衰が死因と言うべきであろうし、後者であれば肺炎が死因とする方が良いであろう。

 ただ、どこで線を引くべきかは必ずしも明らかではない。全体像を重視するか、強力な因子となった部分をとるか、見方によっても変わってくる。

 これまでは分化する医学や社会の傾向に乗って、肺炎の方が重視されて来た。しかし肺炎は老衰に伴ったものとは限らない。全ての年代に起こりうるもので、それに対する治療も工夫が重ねられて来ている。

 しかし、老衰に伴う肺炎は若年者の肺炎とは同じようにはいかない。肺炎の加療が若年者と同様に成功しても、それを老軀が支えてくれないことが多い。そのため同じ治療でも不成功に終わったり、成功してもまた再発したりすることにもなりかねない。

 そのような経験が積まれたこともあり、高齢者の増加や時代の変化にも乗って、老衰がまた見直されることとなり、最近では肺炎よりも老衰を重視する傾向が再び強くなって来ているようである。老衰は肺炎をほぼ包括するものであり、死因としても、部分としての肺炎よりも全体としての老衰とする傾向になって来た。

 どちらが良いかは別としても、現在肺炎が脳血管障害を抜いて死因の第3位になったが、やがては老衰がそれらを抜いて主な死因に登ってくるのではなかろうか。老人の主な死因はかっての老衰から肺炎に移り、今また老衰に移ろうとしているようである。

 科学的な医学の分化が進む一方で、社会の変化が否応無しに包括的な医療の対策を求めるのに並行して、老衰を非とした肺炎が再び老衰に置き換わる傾向は、分化と総合の関係の時代よる変遷を象徴しているようで、ある意味では、行き詰まる世界に未来への道筋を示唆するわずかな光明なのかも知れない。