何かの話のついでに、有難うと言う言葉の語源が話題にのぼり、これがポルトガルの宣教師がもたらしたobbligado(=感謝している)から来ていると言う説が出た。これは時に聞かれる説であるが、辞書などでは多くは俗説だとして退けられているようである。
少し調べてみると、「ありがとう」と言う言葉は「有り難し(ありがたし)」即ち「有る(ある)こと」が「難い(かたい)」から来ているもので、本来は「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」と言う意味を表したもので、枕草子の「ありがたきもの」では「この世にあるのが難しい」「過ごし難い」といった意味で使われていたものとある。
ところが中世になり、「有難し」は「仏の慈悲など、貴重で得難いものを自分は得ている」という考えから、宗教的な感謝の気持ちを表すようになり、近世以降、感謝の意味として一般に広がり、今日の「ありがとう」と言う言葉になったと言うのが一般的な説明である。
従って16世紀に南蛮人がやって来る前からある言葉で、ポルトガル語に由来するとするのは俗説と言わざるを得ないと言うのが大勢のようである。
ところがその頃は「ありがとう」に当たる感謝の意を表す言葉としては「かたじけない」と言う表現がもっぱら使われていたそうで、「ありがとう」が広く使われるようになったのは江戸時代になってからと言われる。
ポルトガル語と同じラテン系のイタリア語ではobligatoとなるので、「オリガトウ」だから、もう「ありがとう」にそっくりである。英語でも「大変有難う」などと言う時にmuch obligedなどと言うではないか。それに宣教師がもたらして日本語として定着しているポルトガル語の多いことも考えに入れるべきだろう。
カステラ、ビスケット、コップ、パン、シャボン、ブランコから、漢字まで当て嵌められている金米糖、襦袢、合羽、如雨露、木乃伊などまでそうと言われているし、名詞以外でも「おんぶする」とか「ピンからキリまで」とか「おいちょ株」の「おいちょ」までポルトガル語由来なのだそうである。
これらのことも踏まえて想像すれば、16世紀の後半にポルトガルの宣教師がやって来て、人々が異国の物珍しい色々な物に接し、その言葉を聞くようになると、必然的にそれらの珍しいものを手に入れたり、聞きかじりのポルトガル語を真似してみたりするのが流行し、それがハイカラに見え、人にも自慢するようなことがあったとしてもおかしくない。流行が次第に周囲にも広がっていき、社会に定着していくことはよくあることである。
そう考えると、「かたじけない」という代わりに、従来からあった「有難し」という言葉にも引っ掛けて、「obligato 」即ち「ありがとう」と洒落てみた人があったとしても決して不思議ではない。それが巷に広がって行って、いつしか普通のの日本語となって「かたじけない」と入れ替わってしまったという可能性も十分考えられるのではなかろうか。
「ありがとう」のポルトガル語由来説を俗説として頭から切り捨てるより、間違っていたとしても、そう考えてみる方がロマンがあり、楽しい気がするのは私だけであろうか。