老老介護

 今回の免疫性血小板減少性紫斑病にかかり、貧血も進み、次第に元気がなくなり、消耗していく姿を見て、女房が車椅子を買うか借りるかしようと言い出した。

 母が高齢で体が衰えて来た時に、車椅子で外へ連れ出したりしていた頃のことを思い出してそう言い出したのであろうが、「待てよ、こちらはまだ歩けるのに」と思うと共に、「96歳のじじいを載せて、90歳の老婆が車椅子を押している姿」を想像して、それだけは止めてくれ!と思った。

 歩けなくなっても、今では老人用の自走車もある。車椅子に乗せられて押してもらうぐらいなら、それにでも乗って自分で走るようにした方が良いのではないかと思った。体が弱れば何やかやと女房に手伝って貰ってお世話にならなければならなくなるのは仕方がないが、最低限、自分の身の回りのことは、稚拙で時間がかかろうとも、なるべくは自分でしたいものである。

 今回は、そこまで行かないうちに、入院加療でそこそこに回復し、元気を取り戻したので車椅子は免れたが、いくら老老介護だなどといっても、小さな老婆が旦那を車椅子に乗せて後ろから押している姿は絵にもならない。奴隷制時代への逆戻りのような気さえする。

 子供やペットの犬を載せて車を押していく姿は微笑ましくもあるし、身体障害者や病人、老人などを載せて、頑丈な若者が車椅子を押している姿は良いが、弱々しい背中の曲がった婆さんが自分より大きな旦那を載せて、車椅子を押している姿はどう考えても嫌だ。それぐらいならやはりそれこそマツダの子会社の作っている自走車にでも乗って、付き添ってもらうにしても、自分で自由に動ける方がどれだけ良いだろう。

 体が衰えれば、いろいろ助けて貰わなければならないにしても、自分の尊厳は保ちたいし、それが介助者の大きな負担になってはならない。高齢化、人口減少のこの国では将来的に職業的な介護力も期待出来ないであろう。身の回りで、自分で何とか出来ることは他人頼みより、自分で何とか処理する工夫を考えておくべきであろう。