親切な女性に感謝

 歳をとってから思いもかけず、時に思わぬ事故を起こし、周りの人に迷惑をかけることが起こるるようになった。体のバランスをとることが不味くなったためか、転倒しやすくなったのである。何度も転倒するので、杖をついて歩く様にしているが、困ったことに、それでも時に転倒するのを免れない。

 その上、ここ何年かは、厄介なことに、それに血管副交感神経性失神 (Vasovagal Syncope)までが加わることがある様になって、周囲の人にまで迷惑をかけることとなり困っている。

   最初にこの血管副交感神経性失神に見舞われたのは八十七歳の時だった。心筋梗塞で入院し、ステントを入れて貰って退院した翌日だった。親戚の者が見舞いに来てくれていた時に、前後の温度差がひどかったためか、突然嘔吐に続いて失神し、すぐに回復したが、退院したばかりだったので、救急車が呼ばれ、病院へ逆戻りをしたのであった。

 次が九十一歳の時のこと、多少アルコールが入っていた事もあったが、夜帰宅時に、最寄りの駅の階段で滑って側壁で眉間を打って出血し、階段の下で座っているのに気がついた。逆行性健忘のためか、それまでの経過は覚えていない。

 通りがかりの女性が声をかけてくれて「大丈夫ですか」と言うので「大丈夫ですから」と答えたものの、女性が額から出血しているのに気がつき、「血が出ているから救急車を呼びましょう」と言って、すぐ119番通報をし、家にまで電話をかけて女房を呼び出してくれた。有無を言わず救急車に乗せられ、救急病院に運ばれ、そこで縫合止血してもらったのであった。

 3回目は昨年の4月自宅でのことである。何故かわからないが、トイレで排尿失神を起こして気を失い、女房をびっくりさせ、以来女房の自律神経を撹乱し、不眠の原因を作ったのであった。この排尿失神も血管副交感神経性失神の原因として有名なものである。

 その次は、昨年9月のことであった。女房と京都の国立近代美術館へ「清水六兵衛・九兵衛展」を見に行った時であった。東山で地下鉄を降り、白川沿いに歩いて行ったのだが、美術館に着いた時、女房が切符を買うために先に行き、私が少し遅れていたが、美術館の入り口あたりで転倒し、びっくりして立ち上がって後追いしたが、女房と一緒に美術館へ入ろうとした時に、急に眩暈感が起こり、崩れる様にしゃがみ込んでしまった。

 私が倒れるのを見ていた係の人が、これは大変とばかりに、車椅子を持って来て座らせてくれるやら、水を用意してくれるやらで、救急車はお断りしたが、とんだお世話になってしまった。やがて落ち着いて、後は女房に押してもらって、車椅子で美術鑑賞をするという初めての経験もさせてもらったのであった。視線の高さが違うと、また違った感じで見れるものである。

 もう繰り返すまいと思っていたのだが、最後がついこの間、芦屋の市立美術博物館へ行った帰りにとうとうまたやってしまった。建物がリニューアルされて、伊藤継郎を中心にとした、戦後彼のアトリエに集っていた昭和の画家たちの展示があったので、懐かしさもあり訪れたのだが、満足して芦屋の駅まで歩いて帰った時に、駅の手前の芦屋市役所のすぐそばで、また転倒し、今度は持っていた杖が災いして、転倒時に口吻にあたり、総入れ歯が折れて出血してしまった。

 座ったまま休んでいたところ、通りがかったベイビーカーを押した女性が心配して出血の手当てにティッシュペーパーをくれたりした。その人に礼を言って分かれてから、何か気分がすぐれないなと思っているうちに、眩暈感が起こりまた短時間失神したようである。

 女房が心配して、ちょうど下の道を通りかかった市役所の女性職員に声をかけたらしく、二人の女性が飛んできて、救急車を呼びましょうと言うことで、断る間もなく救急車が到来した。後は救急車に乗せられ、色々聞かれたり、基本的なバイタルを診たり、血圧や心電図、酸素飽和度などを測られたりしたが、特に異常を見られず、こちらももうすっかり正常に戻っていたので、救急車で駅の入り口まで送ってもらい、”無罪放免”となった。

 もともと、いずれも一時的な血管副交感神経性失神で心配する様なものではないのだが、急に起こった失神発作には誰しもびっくりするし、年齢を考えれば、有無を言わず救急車を呼ぶのが正解であろうが、こちらとしては何としても申し訳ない気がしないわけにはいかない。

 こうして思わず、多くの人のお世話になってしまったが、いつの場合も非正常な状態だったので、その場限りで、充分お礼を言う事も出来ずに過ごしてしまったことが心残りでならない。

 それにしても、日本の女性の誰しもが、心の底に人に優しい素晴らしい素質を持っているのだなあと感心させられる。助けていただいた全ての方々に、心からの感謝の念が伝わって欲しいと切望する次第である。関わっていただいた全ての女性が皆、優しい思いやりを持った方々で、この国に生まれたことを誇りに思わないではおれない。