京都国立近代美術館で行われている清水六兵衛・九兵衛の生誕百年記念展を見に行ってきた。京都の京セラ美術館の庭や、勧業館の入り口その他、あちこちで見られる、赤い大きなモヌメント風の彫刻で馴染みの作家で、清水の京焼きの窯元家でもあるので、是非一度見たいものだと思っていた。
ところが、コロナは依然流行っているし、9月になっても連日35度などといった猛暑が続いている。もう少し涼しくなってからと思って待っていたが、一向に涼しくなる気配がない。台風の予報も続くし、週末は交通機関も混むので平日にしたい。展覧会も二十日過ぎまでである。
9月になったので一旦予定を立てたのだが、猛烈な雨の天気予報で中止した。会期も次第に迫って来たので、とうとう痺れを切らして女房が「もう1日伸ばしたら」というのを振り切って出かけた。人混みを避けて、二人で九時過ぎに家を出たので、美術館に着いたのは、もう十一時頃であった。
女房が先に切符売り場へ行き、少し遅れてそれに続いていたが、そこで一寸した段差を上がろうとして転倒した。老人には時にありうることなので、またかと恥じらいながらゆっくり立ち上がったが、美術館の人がそれを見ていて「大丈夫ですか」と声をかけてくれた。「大丈夫です」と答えて、ゆっくり切符売り場の前にいる女房のと所まで行った、女房は後ろで何が起こっていたのか知らなかったようだった。
そこまでは大した事ではなかったのだが、女房が切符を買って、一緒に中へ入ろうとした時、急にひどい眩暈感のようなものに襲われ、立っておれずにその場に崩れ落ちてしまった。短時間ですぐ気がつき回復したが、それからが大変だった。
美術館の人が出て来て、車椅子を持って来てくれるや、水を飲ませてくれるやら、「救急車を呼びましょうか」とまで言われたが、流石にそれは断った。おそらく朝食が早かったので空腹で脱水気味だったところに、阪急や地下鉄の車中が涼し過ぎ、その後、美術館まで炎天下を歩いて来たことなどが重なって、熱中症気味か、自律神経の調節がうまくいかなくなって起こったものであろう。
とにかく車椅子に座って、女房に押してもらって建物の中へ入り、しばらく休憩した。気分は短時間で回復したが、しばらくそのまま静かにしていた。気分も良くなったが、車椅子に座らされたまま、そのままエレベーターで催し場まで上がり、作品を鑑賞することになった。
先ずはそこで清水六兵衛・九兵衛というのが一人の人物だということを知らされた。元々、作者は名古屋の人なのだが、戦後、六兵衛の養子になり、七代目六兵衛を名乗り、陶芸家として名を挙げたが、後に九兵衛を継がねばならなくなり、作品も陶芸から彫刻へと移っていったのだそうである。
それはそうと、今回は車椅子に座ったままの鑑賞である。初めてのことだが、目線の高さが立って見るのと違う。幸い初めの方は陶器の作品が並んでいたので、いつもと違って目線が低いので、屈むようにして覗き込まなくとも、ちょうど真横から見るようになって、返って見易かった。ただし、あちこちから丹念に見ることは出来ず、ガラス棚の上に置かれた素描などは立ち上がらなければならず、また女房に車を押して貰っているので、全く自分のペースで進めることが出来ない歯痒さもあった。
幸い管内が空いていたので、他の来館者の邪魔にもならず、ゆっくり作品を鑑賞することが出来た。世話になった美術館の職員の方々に厚くお礼を申し上げねばならない。時々、美術館で車椅子の人を見かけることがあるが、その人たちの心情が思いやられ、思わぬ経験をさせて貰えた。
ただ困るのは、家の外でこんな事故が起こると、今後のことが心配である。女房と一緒だったから良かったものの、これがひとりだったらどうなっていたことだろう。八十七歳の時、心筋梗塞で入院し、退院した二日目ぐらいに親戚の者が見舞いに来てくれた時に、自宅でこの時も急な温度の変化が関係したのか、自律神経失調で失神発作を起こし、救急車で病院に逆戻りさせられたことがあった。
失神は本人よりも周りの者を驚かせ怖がらせるものである。こんな事があると、これから先、一人では外出させて貰えなくなるのではなかろうか。それが一番心配である。今後はもっと、体の調節のゆとりが少なくなって来たことを自覚し、外界の変化、その時の体調、生活履歴により注意して、老人に合ったように、無理は避けるべきであろうと自分に言い聞かせた次第である。