命に関わる三大奇景

 96歳ともなると、これまでに色々な景色に遭遇してきている。思い出してみると、多くは色々な場面での家族の姿、仕事上で出会した色々な場面、国内、国外の旅行で遭遇した様々な景色など、無数の光景が思い出される。しかし、そんな中で奇景としか言えないような、特別変わった、忘れることの出来ない景色を三つ挙げるとすれば、下記の三つということになるのではなかろうか。 

1)1945年3月13日の大阪大空襲

2)同年8月6日の広島の原爆投下

3)血小板数低下による自らの両脚全体の点状出血

 これらそれぞれについては、すでに書いているので委細は省略するが、先ずは、空襲の時には大阪市内の天王寺駅近くに住んでいたので、見渡す限りの黒い夜空から、一面に火が落ちてくる景色である。無数の焼夷弾が燃えながら、まるで花火のように、光り輝きながら落ちて来たのであった。見上げて、思わず一瞬、綺麗だなと感じたものである。

 それがその後のあの悲惨な街中を燃やし尽くした空襲の始まりであった。最後は周囲を火に囲まれて、濡れた毛布を被って、すぐ隣の天王寺公園の美術館に逃げた夜を忘れることは出来ない。戦後、近隣で花火大会があっても、長らく花火を近くで見ると、この空襲の夜を思い出して、怖くて近くでは見れなかったものである。

 2番目の広島原爆の時は、海軍兵学校の生徒であり、朝の自習時間、丁度8時15分に、突然窓がピカッと光って閃光が走り、何だろうと思ったら、次の瞬間のドンという強烈な響きが起こり教室が揺れる感じがした。何事だろうと思って、皆で校庭に出た時に見たのがあの原子雲であった。雲ひとつない晴れた空に、もくもくと空高く上がって行ったあの原始雲の姿は忘れることが出来ない。

 まさに原爆は”ピカドン”なのである。戦後も長らく夏になって、むくむくと空高く上がっていく入道雲を見ると、つい原爆を思い出してしまうのがどの位い続いたことであろう。

 そういう過去を背負いながら、いつしか96歳まで生きて来しまい、いったい自分の死はどんな形で来るのだろうかと思ったりもしていたら、3番目である。

 ある朝起きて着替えようとしてパジャマを脱いだら、思いもかけず、太腿の付け根から足先まで、両方ともに、びっしりと無数の点状出血斑で覆われていることに驚かされた。小さな点状の出血がまるで満天の赤い星空のように並んでいるではないか。思わず一瞬綺麗だな、何事かと思わずにはおれなかった。

 日が経つとともに、点状出血は次第に色が褪せ、今度はあちこちに、打ち身の跡のような紫色の斑状出血をも伴うようになり、薄汚くなって行った。これは血小板数の低下の印ではないか。それまでの毎年の定期老人検診の最後は昨年10月だったが、ずっと血小板数は正常だったので、自分に血小板の減少が起こるなど考えたこともなかったが、どう見てもそれしか考え難い。

 近くの医師を受診して調べてもらったら、やはり血小板数が千台しかなく、医師の方がびっくりして電話で連絡があり、再検してもやはり同じで低値で、早速に最寄りの病院への紹介、入院となった次第である。

 これも本当に突然出現した、一瞬何とも言えない美しい不安な光景であった。恐らく生涯忘れることは出来ない奇景であろう。