原爆についての日本の態度

 8月6日が広島、9日が長崎へ原爆を落とされた日である。日本人の誰もが忘れることが出来ない日であるが、私にとっても、広島の原爆は直接その時のピカ・ドーンを体験し、原始雲を見上げ、広島の焼け跡を通った経験から今も鮮明に記憶に残っている。

 ところで、原爆のの被害について、二度と繰り返すなというが、原爆は勝手に落ちた天災ではない。原爆は明らかに人間が落としたものである。アメリカ軍が落としたのだという事実から始めなければならない。

 アメリカに遠慮して誰が落としたかを曖昧にして、まるで勝手に落ちたのか、知らない人が落としたかのような表現が使われることが多いのは遺憾である。原爆を落とした飛行機も、落とした乗組員もはっきり判っている。

 アメリカがあのような残虐な爆弾を無防備な普通の市民の上に落としたのはけしからんということになるが、平和な世の中に落としたものではない。戦争中に爆撃の一環として落とされたものである。

 落としたアメリカに言わすれば、日本との戦争を早く終えるために落としたという。お陰で将兵の被害も少なくて済み、実際に戦争も早く終わらせることが出来たのだという。

 戦争だから使われたものである。戦争はお互いに相手を殺してでも、相手を屈服させるためのものである。戦争にはあらゆる手段が用いられる。日本も、ドイツも、原爆を研究していた。仮にこちらが早く開発に成功していたら、ドイツにしろ、日本にしろ使ったかも知れない。

 戦争は無慈悲なものである。無防備な都市の非戦闘員の住民を狙った無差別爆撃も人道に反する行為である。東京、名古屋、大阪などで空襲でどれだけの人が犠牲になったことであろうか。

 しかし、この無差別爆撃も、元をただせば、スペインの内戦における、ドイツのゲルニカ爆撃が最初で、その後、ロンドン空襲、日本の重慶への渡洋爆撃が続き、その流れを受けて後に、アメリカの都市の無差別爆撃が行われるようになったものである。

 この戦争は中国への侵略から始まったもので、敗戦の14年も前の満州事変以来、日本軍の中国への侵略が続き、当時の日本軍は、「現地調達」を旨としていたので、各地で略奪行為を繰り返し、日本鬼子と恐れられ、如何に残虐なことをしたことか。その一環として「南京大虐殺」も起こったのである。原爆の被害を忘れてはならないなら、中国での「南京大虐殺」をも忘れてはならない。加害は忘れ易く、被害は忘れ難いものなのである。

 これらのことをも踏まえて、原爆の非人道的、大規模殺害力などを非難し、原爆の廃棄を訴えるべきであろう。当然、非核条約に参加すべきであろうし、アメリカをはじめとする世界の核戦略にも反対すべきであろう。