ハナビリウム

 今年の夏は、コロナのパンデミックの影響で、何処でも花火大会が中止となり、例年の夏の催しがなくなって、人々をがっかりさせている。それを補う意味かどうかは知らないが、各地のプラネタリウムを利用して、打ち上げ花火を真下から見上げる映像が楽しめる「ハナビリウム」なるものが考案され、現在、福井市のセーレンプラネットのドームで始まっているそうである。今後、全国のプラネタリウムで順次一般公開されるようである。

 約5000発の花火が、ドームの天井いっぱいに広がるのだそうである。きっと、普通の花火大会などと違って、花火を真下から見ることになるので、迫力満点な光景を仰ぎ見ることが出来ることであろう。せいぜいコロナで制限されている生活の鬱憤を吹っ飛ばしてくれることを期待したい。

 しかし、私の心には、何処かに素直に喜べない気持ちが漂う。花火は大阪大空襲の夜を思い出させる出来事なのである。今でこそ花火大会も見物できるが、戦後長い間、花火大会を、それも真下から空中に打ち上げられる花火を見ると、空襲の時に空一面から火の玉が降ってきて、次々の周りの家が燃えていったあの空襲の夜が思い出されて来て、思わず逃げ出したくなる思いが続いていた。

 東京、名古屋、大阪、神戸と続いた1945年3月の空襲では、アメリカの目的は乾燥した春先を狙って、木造家屋で出来た日本の大都市を焼き払うことにあったので、もっぱら油性の焼夷弾が用いられた。焼夷弾は落下時には多くの筒を束にしたようなものであるが、落下の途中で一つ一つの筒がバラバラになり、それぞれが燃えながら空から、密集した家並みに落ちて来ることになった。下から見上げると、見渡す限りの空全体を覆うようにして、一面に火が降って来るのである。こんな景色は最早いくら見たくても、未来永劫に見ることは出来ないであろう。

 命からがら毛布に水をかけて、被って逃げたが、辺りはすっかり焼けてしまった。裏のお寺の大きな本堂が燃え出しても、どうすることも出来ず、ただ呆然と焼け落ちるのを見ているよりなかった、悔しさは今も忘れることが出来ない。

 花火を近くで見ることが出来なかったのは戦後、長い間続いたが、これはどうも私だけのことではないらしい。いつだったか、女性だったが、花火大会で花火が挙がり始めたので、友人が見に行こうと誘ってくれたが、どうしても行けなかったと書いていた文章を読んだことがあった。その人も空襲の被災者であった。

 多くの人が私同様、焼夷弾による空襲と花火が長く戦争と結び付いて、記憶に残ってきたようである。しかし、今朝の新聞の声欄をみると、こんなのもあった。「父の一番嫌いなものは花火、「花火は大砲の音と同じだ。あの音を聞くと吹っ飛んで死んだ戦友を思い出す」と言ったという記事が出ていた。

 戦争を知らない今の人々は、新しいハナビリウムを存分い楽しまれたら良いと思うが、花火については、上のような悲しい歴史のあることも、心のどこかに留めておいていただければ有難い。二度とあの惨めな戦争を繰り返さない契機になるかもと思う次第である。