関東大震災

 1月17日は1995年の阪神大震災から23年の記念日になるというので、神戸では追悼の慰霊祭が行われ、メディアもそれに関連したいろいろなニュースを載せている。初孫が生まれて一年目のことで、その孫ももう立派な大人になっているが、未だにごく最近の出来事のような気がしてならない。池田でもだいぶ揺れたし古い家の倒壊もあった。

 その後に起こった東日本大震災からさえもう7年も経っている。この場合はこちらではあまり揺れなかったが、それよりテレビによる実況放送が忘れられない。丘の上から押し寄せる津波から逃げてくる人に早く早くとせき立てている様とか、原発の爆発する様子など決して忘れられない映像であった。

 しかしその陰に隠れて、最近ではもう滅多に話題に上らなくなってしまったが、子供の頃の私にとってそれらに当たる大地震としては何と言っても関東大震災であった。その後、戦争に紛れて南海大地震などもあった。今の東日本大震災に当たるものが正に関東大震災であった。現在東日本大震災について語られるのと同じように何かにつけて人々は関東大震災の恐ろしさについて語っていた。

 関東大震災が起こったのが、1923年の9月1日の昼過ぎだったので、私が小学校に上がった(その頃は小学校に行くようになるのを上がると言っていた)のが昭和10年(1935年)だから、まだ震災から10年余りということである。阪神大震災から23年、東北の震災から7年といわれる今と比べると、当時の関東大震災についての人々の記憶や想いも想像出来るであろう。

 関東大震災を経験した人の話や、人づての話として、浅草の凌雲閣という12階建ての建物が崩壊したことや、地震そのものよりも地震で起こった火事が怖かったこと、震災の犠牲者の9割方の人は火事で亡くなったなどということを聞いた。殊に火事から逃れて被服廠跡の広場に逃げ込んだ大勢の人が、周りの火災から起こった旋風による猛烈な火に包まれて大勢が焼死したことなどが有名で、東京にいた時には、その現場も教えてもらったものであった。

 また震災の被害を受けた多くの人が東京や関東地方から関西方面に逃げてきて、そこに定住し、そのために大阪の人口も増え、大大阪と言われるようになったなどという話も聞かされた。親の転勤で東海道線で東京に行った時には、丹那トンネルを越えて神奈川県に入ると窓から見る世界が変わり、瓦の屋根の家が減り、ほとんどの家がスレートのような屋根で軽い感じのバラックのような家ばかりになり、それが関東大震災でほとんどの家が潰され建て直されてためだと聞かされたこともあった。

 また震災に伴った朝鮮人の虐殺事件についても聞かされた。何でも朝鮮人が井戸に毒を撒いたという噂が広まり、自警団が組織され、棍棒などを持って集まり、道ゆく人を誰何し、朝鮮人には発音しにくい「ゴジュッセン」などという言葉を言わせ、うまく言えないと朝鮮人だと決めつけられて殴り殺されたという事件で、日本人でも発音が悪いために殺された人もいたということであった。当時は今と違ってそんなことも案外平気で喋る人もいたようである。

 ただこの震災を契機に起こった甘粕事件のような左翼弾圧のような政治的な事件については子供は知る由もなかった。

 昭和13年と14年の二年間私は東京で暮らしたが、その頃の東京では軽い地震は度々あり、15年に関西に帰ってからは殆ど体に感じる地震がなかったので、その頃からの印象で関東は地震が多く関西は地震の少ない所だというのが何と無く私の常識のようになっていたので、阪神大震災が起こった時には本当にびっくりさせられた。

 関東大震災の噂が次第に聞かれなくなっていったのはどうも社会の軍事色が強くなり世間の噂もそちらに集中していったためのような気がする。

 その後、戦争中の昭和19年12月の伊勢湾から浜名湖あたりの東海地方にかけての昭和東南海地震があったが、戦争中でほとんど大きな問題としては報道されず、戦後昭和21年の12月には昭和南海地震と言われる大地震もあり、四万十川あたりで地区が全滅したり和歌山県でも津波なども起こり大きな被害があったようだが、戦後の混乱期でもあり、大阪の南部に住んでいた女房などはよく覚えているようだが、私にはあまりはっきりとした記憶がない。

 それはそうと、地震の影響は当然その時代の社会のあり方によって変わるもので、関東大震災の頃は殆どの家が木造で、それが密集していた東京などでは火災による死者が最も多かったのに対し、阪神・淡路大震災では建物の下敷きになって亡くなった人が多かったし、東日本大震災では原発の被害という大きなおまけがついたことが何よりの特徴で、それぞれの地震の時代を表していた。

 より小さな地震を数えれば、この国では地震の絶えることがなく、いずれまたどこかで大きな地震が起こるであろうと予想されているが、地震に備えるといっても予知が出来ない上、相対的に少ない頻度と日常生活の多忙さを見比べてみると、どれだけのことが出来るかなかなか難しい。せいぜい起こった時に慌てない心積もりだけでもしておくべきであろう。