悲観的な日本の将来

 どうして日本人はデモやストライキをしないのだろうか。フランスでは年金受給開始を62歳から64歳に引き下げることに抗議して290万もの人の全国ストが繰り返されているし、スペインのマドリッドでも100万人デモ、イギリスでも50万人のストライキポルトガルでは教職員たちが賃上げ要求のストだとか、何処の国でも社会的な矛盾が酷くなれば、国民が声をあげて、デモをしたりストライキをするのが民主主義の表れであり、この国でも、1960年の安保改正の時には100万人のデモが国会議事堂に押しかけたこともあったではないか。

 それも今では昔のこととなり、最近の日本では、大規模二次産業の衰退により、労働者がバラバラにされ、組合運動が低調となり、連合は政府に近寄り、大規模な組合運動もなくなった。デモやストも減ってしまっている。組織のない人々の思考や行動は多様となり、個人主義的な傾向が強い。国の経済の停滞、それに伴う軍事費の増加、物価は上がり、生活の困窮その他、社会が多くの問題を抱えているにも関わらず、人々の政治や選挙などに対する関心も薄くなっている。

 こうして選挙の投票率も低いが、選挙の投票だけが民主主義ではない。デモやストライキで国民の意見を表明することなども民主主義の大事な要素である。庶民からの要望が弱いことに付け入って、世襲の議員や官僚上がりの政治屋が政界を独占し、大企業と結託し、米国依存の政治で、そのおこぼれにありつこうとしているのが日本の現状である。

 国家と国民は異なる。国民が声を上げなければ、政府は自分たちの都合の良いように勝手に政治を進めるだけである。当然、対米従属の下で、米国に貢ぎ、社会的に相対的に力を持っている金持ちや権力者が優遇されやすく、一般の庶民など弱い者を更にいじめる政治になりやすい。

 米国に指摘されるままに軍事費増加、敵基地攻撃能力保持のための大量兵器の購入などによる莫大な軍事費に奪われて、不足する予算で内政は全て抑えられることとなる。せっかく発展し、最大の貿易相手国である隣国中国が仮想敵国とされているのも米国の利益、中国叩きのためでしかない。

 一方国内では、ここ30年間経済は停滞し、人々の給料は伸びず、少子高齢化で社会の活力も衰え、将来への希望も持てず、諦めムードなのか、無関心なのか、こうなっても政府への反対の声も小さく、大人し過ぎる日本人の将来はどうなるのであろうか。最早、「物言わぬのが美徳」「長い物には巻かれろ」と言ってすましておられる場合ではない。はっきり言おう、声をあげよう、批判の声を突きつけよう。

 先日亡くなられた坂本龍一氏も「僕から見ても安倍さんはとても保守とは言えない、その本質は露骨な大企業優遇。国民はもっと怒るべき、いまの政権がやっていることは『棄民政策』です。なぜこれを多くの人が許しているのか、本来なら100万人規模デモで国会に押しかけたっていい話だと思います」(202304.04)と言っていたそうである。

 またこんな話もSNSで見た。「立憲民主党の議員にリークされた厚生労働省の行政文書にあった年金改革素案に唖然としている。年金制度の崩壊を防ぐため、受給年齢を90歳にまで引き上げるとの内容。『国民が納得しないのでは』という厚労省幹部に対し、『フランスと違って日本人はストもせず従順だから問題ない。反対すると首が飛ぶぞ』と首相補佐官。『事実上の集団自決、最終解決だ』と豪語したという」のだそうだ。国民は政府に全く馬鹿にされているとしか考えられないのが現状である。(2023.04.04 想田 和弘)

 最近も物価が上がり、税金が増えても給料は追いつかず、人口は減少し、少子高齢化対策も移民政策も進まない。労働生産性も下がり、産業も停滞。輸入超過で、財政も厳しい。明るい未来は見通せないのに、政府の積極的な施作もない。

 どう見ても、この先に明るい未来が見えてこないのが現状ではなかろうか。日本が頼ってきたアメリカ主導の資本主義体制自体の衰退が進みつつあるのではないか。ここらで世界の歴史動向にも目をむけて、広い視野で、沈みゆくアメリカ主導の資本主義体制の中からだけでなく、新しい世界の可能性をも視野に入れて観察し直すことも必要なのではなかろうか。