イスラエルのガザ戦争の由来

 イスラエルハマスのガザ戦争についてのSNS上での写真を並べました。両者の対立には長い歴史があるのです。ここで一度振り返っておきたいと思った。簡単にまとめると、以下の様な長い歴史となる。

 元々、パレスチナには古くから、イスラム教徒やユダヤ教徒など様々な宗教の人が暮らしていた様である。時には衝突もあったものの、基本的には隣人として共存していた。ところが、第一次世界大戦中にイギリスが展開した「三枚舌外交」が契機となりユダヤ国家の建設が進められるようになったのが現在の矛盾の始まりと言われる。

 1917年11月イギリスの外務大臣だったアーサー・バルフォアが、ユダヤ系イギリス人の富豪ウォルター・ロスチャイルドに向けて書簡を送り、イギリスはパレスチナにおけるユダヤ人居住区の建設に賛同する旨を伝えたのである。このバルフォア宣言に始まる介入により、人々のバランスが崩れてしまったのである。現在にも続くパレスチナ問題を生み出した責任の一端は、当時のイギリスの外交政策にもあると言える。

 長引く第一次世界大戦でのイギリスの厳しい財政事情があり、ユダヤ世界には多くの資産家がいるので、ユダヤ人の主張を尊重する意思を表明することで、彼らから財政的支援を引き出したいという思惑があったようである。

 それによってイギリスからの支持を得たユダヤ人は、世界各地から次々とパレスチナの地へ移住してくるようになり、第二次世界大戦を経て、ユダヤ人はパレスチナユダヤ国家のイスラエルを建国。ユダヤ人とアラブ人の対立は決定的となり、この後、中東の国々は泥沼化する中東戦争へと突入していったわけである。

 ここでこの有名な「三枚舌外交」とは、先ずは、イギリスがアラブ民族との間に結んだフサイン=マクマホン協定で、アラブ人のオスマン帝国からの独立を支持するとして、アラブに反乱を起こさせ、次いで、フランスとロシアとの間で結んだサイクス・ピコ協定で、アラブを3分割し、更に、バルフォア宣言ユダヤ人にパレスチナにおけるユダヤ人居住区の建設に賛同する旨を伝えたものである。

 今や、イスラエルガザ地区から完全にパレスチナ人を追い出して、シナイ半島に住まわせ、ユダヤ人に入植させて、パレスチナを全てイスラエルの国にしようと企んでいると言われているようである。