カタカナ略語

 最近の夕刊は午後2時ごろにはもう配達されているので、余程の突然の出来事でもない限り、夕刊の一面はニュースというより、何かの事物についての解説の様な記事を載せていることが多い。

 先日配られてきた夕刊を見ると、トップの見出しにカタカナで「デコトラ」と大きく書かれている。何じゃ、この「デコトラ」とは? 何のことかさっぱりわからない。

 しかし、下の方に目を移すと賑々しく飾ったデコレーションを施したトラックの写真が載っていたので、記事を読むまでもなく、デコレーションを施したトラックのことかと想像出来た。最近はそれを「デコトラ」というらしいことを理解した。

 ところが、次の日の夕刊には、また一面に今度は「トレラン」と大きく出ているではないか。今度は何のことだろうかと記事を読むと「トレラン」とはトレイル・ランニングの略だそうだ。こうなると関係者にはわかっても一般の人には説明を聞かないとさっぱりわからない。

 略語は昔から広く使われたきたが、以前の略語はほとんどが表意文字である漢字の略語だったので、類推が容易だったが、カタカナの様な表音文字では類推する手がかりが少ないので、略語だけ示されてもなかなか元の言葉に辿り着けず、意味が分からない。

 町名の略など谷六、上八などといっても谷町六丁目や上本町八丁目のことだとすぐに分かるし、特急、高校、英検、入試なども容易に本来の呼称が想像出来るであろう。中には切手や軍手など略語がほんものになってしまっているものも多い。切手は切符手形、軍手は軍用手袋から来ていることなど、聞いて成る程と思う様なものも多い。

 ところが、カナ文字略語は元がカタカナ英語から来ているものが多い上、かなが表音文字なので、英語の略語同様、言わば仲間内の符牒の様なもので、ある範囲の人たちにはよく分かっていても、部外者にはさっぱり分からないことが多くなる。昔、ある医学会で肺機能についての発表で、若い医者がやたら医学英語の略語ばかりを並べ続けて喋るので、部外者の私にはさっぱり分からず辟易したことを思い出した。

 今や世間はカタカナ略語の氾濫の感があるが、四六時中使う様なものは、スマホにしても、アニメにしても、略語がそのものの表現語として広がっているから良いが、そこまで浸透していないカタカナ略語の氾濫には、何のことやら分からず困惑させられることがしばしばである。

 若者言葉だとか業界言葉、あるいはそれに近い様な略語がやたらと広がっている上、表意文字で短くなると、仲間内では便利でよく分かって良いが、少しそこから離れた所にいる人にとっては、さっぱりわからない様なことが多くなる。

 コスパ、タイパ、ブログ、セクハラ、マスコミ、コンビニ、リモコン、メルマガ、メモ、アポ、アマ、プロなどといった類は、もう略語がほぼ本物の呼び名になっているし、日常的にもよく使われるので問題ないが、少し使われ方の少ないものや偏っているものは分かり難いことも多い。

 アコギ、アグリ、アナクロ、アラサー、アングラ、シスコン、ラノベコンプラコミケ、ノーカン、カンスト、リアタイなどとなってくると、にわかには分からないものが多くなってくる。

 時には、リハというのでリハビリテーションのことかと思ったら、音楽関係などではリハと言えばリハーサルのことに決まっている様である。

 最近はますますこの様なカタカナ略語が増えて老人にはなかなか付いてて行けない。