勝手ツンボ

   子供の時から「勝手ツンボ」という言葉を聞かされてきた。歳をとった老人が耳が遠くなって、平素は必要な会話も通じないぐらいなのに、何か自分にとって必要なことや、自分にとって都合の悪いことなどはちゃんと聞こえていて、それなりに反応することをさしていわれる言葉である。

  よくあるケースでは、家族などがおばあちゃんは都合の悪い時はいつも聞こえないふりをしているのに、自分に都合の良い時や、悪口などを言われた時にはちゃんと聞こえているようで、本当はいつも聞こえているが、勝手の良い時と悪い時を意識して、それなりに反応しているのではないかという周囲の立場からの見方である。

 ところが私も歳をとって自分の耳が聞こえ難くなると、上のおばあちゃんが勝手ツンボと言われる訳がよくわかる様になってきた。

 耳が聞こえ難くなったと言っても、勿論、何も聞こえないわけではないし、その時の条件によって、比較的聞こえやすい時とそうでない時があるものである。高い音や、子音は聞き取り難くても、母音は案外聞き取れるので、全然聞き取れないのではなくて、間違って聞き取ることが多くなるようになる。

 それに大脳はいろいろな情報をうまく取捨選択し、それらをまとめて総合的に判断しようとするので、よく聞こえたことや、聞こえ難かったこと、間違って聞こえたことなどを、適当に取捨選択して処理し、まとめた情報として判断し、強く反応する情報と、どうでもよい様な情報も篩いにかけて判断するので、単に物理的に入ってきた情報がそのまま受容されるわけではない。

 その上、その時の条件にもよるが、大事なことは一生懸命聞こうとするし、過去の記憶と照らし合わせて判断しても聞き取るので、どうでもよいことは聞き流しても、大事なことは多少聞き辛かったとしても、過去の経験に照らし合わせて想像力も動員して聞き取ろうとするので案外普通に聞き取りにくいことでも聞き取れることにもなるのである。

 そのような紆余曲折を経た聞き取りの複雑さが周囲からすれば、勝手ツンボと言われる所以なのではなかろうか。聞こえ難くなった私の耳も聞こえなかったり、聞き間違ったりが多くなってきたが、一様ではなく随分まだらなので、きっと勝手ツンボの範疇に入る様な聞こえ方をしているのであろうかと思っている。