車内風景の変化

 毎朝仕事に行くために電車に乗ることがなくなってから、もういつしか15〜16年にもなろうか。その後も不定期には始終電車に乗っていたが、ここ3〜4年はコロナの流行もあり、仕事も辞めてしまった上に、コロナ感染防止で不要の外出をしなくなったので、めっきり電車に乗る回数も減ってしまった。

 たまに出かける時も、今は時間的な制約も少なくなったので、なるべくラッシュ時間帯を避け、人の少ない頃合いを見計らって電車に乗るようにしている。昨日も用事があって大阪まで出掛けたが、電車に乗ったのは9時半も過ぎて通勤の人たちが皆がもう出かけた後の時間であった。

 この時間の普通列車であれば、間違いなく空いているので座れる。利用するのは優先座席である。空いた電車の中は快適である。トライウオーカーを前に置いて腰掛け、おもむろに車内の様子などを観察する。

 すぐに隣の車両から一人の男が移って来たが、びっくりするような背の高い男であった。

我々の世代は皆背が低かったが、最近の日本人は皆背が高くなった。その男もゆうに電車のドアに頭がつかえる高さである。びっくりしながら後ろ姿を追っていると、今度は目先の座席に白い服を着た女性が座って化粧しているのが目についた。ところが、その女性の足がまた長過ぎるぐらい。短いスカートを履いて脚を組んでいるのだが、太ももから曲がった膝を経て足先に至る長さに驚かされた。

 昔は日本の女性の脚は太くて短く、よく大根足などと言ったものだったが、この女性の脚はは大根とはおよそ関係のない、細くて長い綺麗な脚をしていた。強いて野菜に例えるならば、

ねぎの足とでもいうべきであろうか。彼女は化粧中であった。

 昔は電車の中で化粧するのは娼婦と決まっていた。まだ占領軍のアメリカ兵がいた頃に、電車の中で化粧をしていて、娼婦と間違えられて声をかけられた女性が問題になったことがあったが、今では電車の中での化粧は当たり前のことのようである。朝の超満員の電車の中で、立って釣り革に摑まりながら化粧する女性の離れ業に驚かされたこともある。朝の忙しい時間を有効に活用するには優れた方法と思われているのであろう。

 二人の動向を見終わったのでゆっくり車内を見渡す。すぐ次の駅ぐらいから優先席に若い女性が来て座った。早速スマホを見出したが、そっとカバンから障害者用の札を出した。一見わからない障害を持った人は、人知れず苦労しているのだなと思われた。

 そういえば最近の電車では殆どの人がスマホを出して見ている。昔と違うのは、新聞を読んでいる人がまず見られなくなったことであろう。昔は朝のラッシュ時には、新聞を四つ折りにして、混んだ電車の中の人と人との隙間で、うまく読んでいる人が多かったものだし、午後や夕方になると、週刊誌やスポーツ新聞が幅を利かせていたものだったが、今では、電車の中で新聞を広げている人など殆ど見ない。

 序でに言えば、昔は電車の中で本を読んでいる人や、俳句を認めている人、編み物をしている人など、さまざまな人がいたが、今では殆ど見かけなくなった。ただ居眠りしている人は、外国から来た人がびっくりするようだが、昔もも今も変わりがないようである。

 以前は、読んだスポーツ新聞を網棚の上に置いて下車していく人が多く、それを新たに乗って来た人が網棚から取って読む姿も多かった。中にはホームのゴミ箱からスポーツ紙を拾って電車に乗り込む人も見かけた。今でも駅のコンビニでスポーツ紙は売られているが、もうすっかり部数も減ってしまっていることであろう。こういうスポーツ紙がなくなったので、最近はどこの電車でも、綺麗になった網棚は殆どいつも空っぽのままのようである。

 昔は今よりもっと網棚が利用されていたものである。昔は大きな荷物を持って移動する人が今より多かったのであろうか。戦後の買い出しラッシュの時などは別にしても、今のようにデリバリーシステムが未発達だった頃には、どこかで求めた商品なども、自分で運んで持って帰る人も多かったからであろうか。もっと網棚には色々なものが載っていたような気がする。電車の種類によっても、時間帯によっても違うだろうから正確なことはわからないが。

 今では荷物があってもリュックを背負ったり、前に抱えたりし、あるいは座席の横に置いたり、学生などではカバンを床に置いたりしても、その割には網棚を利用したがらないように思える。高い所にあげたりおろしたりするのが面倒だからだろうか。

 それに、網棚はつい置き忘れ易いのが問題である。私も何度か経験がある。一番ひどかったのは、外国旅行からの帰途、大きなトランクは持って降りたが、網棚に上げていたリュックをすっかり忘れて降りてしまい、後でお忘れ物センターまで取りに行かねばならなかったことがあった。荷物が二つ以上あり、一つだけを網棚へ乗せたような時は要注意である。

 ある時電車に乗っていたら、途中から乗って来た人が、向かい側の座席で、大きなスーツケースは自分の前に置き、脱いだコートを無造作に網棚に載せて座ったので、降りる時にコートを忘れはしないかと、人ごとながら、気になって見ていたこともあった。

 同じ車内でも、時代が変われば風景も変わるものである。もちろん、乗っている人々の服装なども時代によって変わって来ている。今なお日本では同調性が強いので、殊に男性は皆同じような格好をしている人たちが多いが、昔よりは変わって、個性的な服装も見られるようにはなって来ている。

 優先座席に座ってぼんやり車内の風景を見るとはなしに見ていると、いつしか昔とは様変わりして来た車内の風景に気づかされて結構退屈しないものである。