九十二歳ともなると、電車でも立っていると疲れるし、よろけて危ないので、出来るだけ座りたいという思いと、駅のホームに着いた時に階段が近いこともあって、最近出掛ける時には、いつも同じ車両の優先席に行く事になる。
もちろん、ラッシュアワーなどは混んでいるので、出来るだけ避けるようにしているが、それ以外の時間帯なら、他の席が詰まっていても、優先席は案外一人分ぐらいは空いていることもある。
空いていなくとも、若い人が座っていて席を譲ってくれることも多い。しかし、面白いことに、私の経験では、譲ってくれるのは殆どが女性である。たまに若い男性が譲ってくれることもあるが、殆どは学生で、サラリーマンが譲ってくれることは先ずない。
サラリーマンは眠ているか、スマホに夢中で、前に老人が立っていることに気がつかない人が多い。日本のサラリーマンは疲れているので、そっとしておいてあげることにしている。
それにしても、日本ではまだまだ男尊女卑の観念が根強く残っているようで、席を譲る風景を見ているだけでも、その執拗な名残が感じられて面白い。
ある時中年の女性が席を譲ってくれたので、お礼を言って座らせて貰った。その時は女性が一人で乗っているのかと思っていたが、そのうちに隣の男性と話をして何かを手渡したりするではないか。夫婦で乗っていて、嫁さんの方が譲ってくれたのであり、一緒に乗っていた男の方は、全く我関せずと座っていたので気がつかなかったのであった。
また昨日は、他の電車で、二十歳代の女性が優先座席の前へ行くなりさっと立って席を譲ってくれたが、見ると若い男性とのアベックであった。その君はさすがに自分も立とうと思ったのか、体を少し動かしたが、女性が席に立ったので、そのまま座り続け、女性の鞄を膝に持ってやったりしていた。
いずれもアメリカなどでは考えられない風景なので驚いた。幾ら何でも、一緒にいる女性が立って席を他人に譲ろうとしているのに、男の方が黙っていて代ろうとしないのが、未だに日本では常道なのであろうか。
それよりもっとひどい光景も、先日見た。電車に座っていて何となく車内を見ていた時、若いカプルが並んで立っているのが見えた。とある駅で、二人に立っているすぐ前の席が一つだけ空いた。横から見ていて、当然男が女を座らせるのだろうと思ったら、男が平然と座り、女がその前に立ち、男が女の持ち物を自分の膝の上に置いた。それがごく自然に行われていたのが、何かすごく印象的であった。
また、つい二、三日前に見た地下鉄内での風景を思い出した。電車は比較的空いていた。コーケジアンのカップルが端の優先席に座っていたが、男の方は電車が駅に着くごとに、乗って来る人に席を譲らなくてはならないかと思って立ち上がっては、譲るべき人のないことを確かめて、また座る動作を繰り返していたが、隣の女性は全く我関さずの感じで、体一つ動かさずにスマホを眺め続けていた。
アジアの他所の国ではどうか知らないが、中国での経験では、地下鉄に乗る時には、我先にと押し合い圧し合いで乗るが、中に入ると、儒教の影響があるのか、こちらが老人と見るや若い人が席を譲ってくれたのを覚えている。男女の関係については知らない。
こういう人々の行動を観察していると興味が尽きない。それぞれの行動には、それぞれの長い文化の歴史や背景があるので、一概にどれが良いとも言いにくい点もあるが、やはり男女は同権で、誰もが周囲の弱いものに配慮する文化が好ましい気がするがどうであろうか。