最近、電車の中の週刊誌の中吊り広告が廃止されることになったそうである。
いつも電車に乗る度に、嫌でも見せられていた週刊誌の広告が見れなくなるのはちと寂しい気もする。その時々の大衆的な評判の話題を拾い損ねることにもなりかねない。
従来、週刊誌は、中吊り広告で、煽情的なドギツイ見出しを並べて乗客の関心を引き、それを見た乗客が電車を降りた時に、駅の売店でその週刊誌を買わせようと目論んでいたようだが、時代は変わるものである。今では、その効果も薄らいで来ているようである。
誰でも満員電車に乗って、他人に押されながら立っていると、周囲の人の肩の間から向こうを見るよりなく、そこに唯一の絵や活字のある中吊り広告があれば、それが目に入らざるを得ない。嫌でも、広告を見さされることになり、せめて話の種にでも仕入れておこうということになる。
ところが、この頃の乗客は皆スマホを見るため下を向いていて、上を見る人がいなくなり、中吊り広告を見る人がいなくなったそうである。そうなれば、当然、広告の効果も失せる。それが週刊誌が中吊り広告をやめる原因だというのである。
勿論、それだけが原因ではなく、ITの発展とともに、人々の情報の取得方法が変わり、新聞などの発行部数減などとともに、週刊誌の売り上げも落ちてきていることが関係していることは間違いないであろう。
もともと、日本の電車の車内は広告だらけであった。吊り下げ広告以外にも、網棚の上、扉の上など、壁面はぎっしり広告が張り巡らされ、一本一本の吊革にまで広告の見られることもある。しかし、どれも広告は乗客の視線に合わせて、車内の上の方に位置している。広告ではないが、網棚の上が読み捨てられた週刊誌でいっぱいだった時代もあった。これも視線は上向きである。
電車が混雑して、立っている人が多くなればなる程、乗客の視線は余計に上を向くことになる。混んだ中で新聞を広げるわけにもいかないし、読書も疲れる。ところが、スマホは映像や短文の繰り返しである。小さいので周囲の邪魔にもならない。仕事がらみの必要性も多い。立っていても、座っていても操作出来る。歩きながらスマホを見ている人だっている世の中である。
殆どの人が下を見てスマホを操作しているのが、この頃の車内風景である。上に何があろうが、上で何が起ころうが関心がないかのようである。中吊り広告が見て貰えなくなったのも仕方なかろう。ITの時代のこの頃は、乗客の視線は皆下を向いているようである。