映画「福田村事件」

 最近、関東大震災から100年というので、新聞でも取り上げられた地震直後の朝鮮人虐殺事件の時に、たまたま香川県から千葉へ来ていた行商の集団が、朝鮮人と間違えられて何人も殺された悲惨な事件の映画である。

 関東大震災の後の混乱の中で、「朝鮮人が井戸に毒を撒いた、放火した」などという噂が広がり、それを真に受けた人たちが、一部の村では総動員で警戒体制を敷き、朝鮮人を見つけては集団殺戮を行なったという恥ずべき歴史についての映画である。

 この事件があったことは、数々の証拠もあり、明らかなことであるにもかかわらず。小池都知事は例年行われて来たその追悼式への出席を固辞し、松野官房長官もそういう政府の記録は存在せず、調べる必要もないと答弁して問題となった事件である。

 政府はあくまでも、この忌まわしい事件をなかったかのように否定してしまおうとしているようであるが、この事件はかなり広範に行われたものであり、その記録も多く、今更政府が否定しても、歴史から消すことの出来ない汚辱に満ちた事件なのである。

 私は関東大震災の5年後に生まれたが、東日本大震災の話が10年後にもよく話されていたように、関東大震災の話をよく聞かされたものであったが、その中にも出て来た話であり、朝鮮人と日本人では外観からは区別が付かなかったので、朝鮮人が発音しにくかった「五十銭」などを言わせて、満足に言えない者は朝鮮人として殺されたたというような話を聞かされたものであった。

 その影響かかどうか知らないが、我々の子供の頃には、朝鮮人を馬鹿にした歌を何も知らないままに子供なりに歌ったりしたものであった。「五十銭、五十銭、拾って見たら、ビール瓶の蓋で、馬鹿みたい」というのを「コーチセン、コーチセン、ピロテミタラ、ピルピンノプータデパカミタイ」と歌わせられていたものであった。

 日本人がRとLとの区別がつけにくいので、Rice とLiceの発音の使い分けが困難なので、日本人は 米(Rice)でなく、シラミ(Lice)を食べていると言われるようなものである。

 福田村事件でも同じようなことが出てくるが、間違った噂に翻弄された民衆が、それに乗せられると、とんでもないことが起こりうることを、事実が示してくれた事件だったのである。これによって、その地方に住む朝鮮人が如何に多く殺されたことであろう。映画に出てくる香川県からの行商以外にも、地方の出身者などで、発音が悪かっただけのために、朝鮮人と見なされて殺された人のいたことも聞かされたものであった。

 映画は当時の風俗、風習などをうまく忠実な描写していたが、当時の日本が如何に遅れた野蛮な社会であったこともよく分かり、現在と大きく違っていたであろうことも分かるが、インターネットなどを介して昔以上に間違った情報や噂が広がり易い現状を知ると、この福田村事件のようなことは今後も起こりうることだと考えておいた方が良いのではなかろうか。