アウシュビッツ解放75周年

 ナチス・ドイツユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の象徴的存在であるアウシュビッツ強制収容所が解放されてから今年の1月27日で75周年となり、同所のアウシュビッツ・ピルケナウ ミュジアム主催の追悼会が行われ、それに先立って、イスラエルホロコースト記念館でも追悼式が行われたそうでる。

 もう今では、アウシュビッツと言っても、知らない方もおられるかも知れないので、一言説明すると、「アウシュビッツ強制収容所とは、ナチス・ドイツが第2次世界大戦中の1940年、占領下のポーランド南部オシフィエンチム(ドイツ語名:アウシュビッツ)の郊外に建設。130万人のユダヤ人が連行され、110万人がガス室などで殺害されたとされている。ドイツ敗戦前の45年1月27日に旧ソ連軍が解放。跡地は博物館として保存され、79年には「負の遺産」として世界遺産に登録されている」というものである。

 この追悼会には、当時の生き残りの犠牲者200名を始め、50ヶ国の3000名の人々が参集したが、ドイツのシュタインマイヤー大統領はそこで、「私は歴史的な罪の重荷を背負ってここに立っている」「ドイツ人は歴史から学んだと言えたらよかったが、憎悪が広がる中、そう語ることはできない・・・」と述べて、記憶と教訓の継承を誓ったそうである。

 これだけ時間が経っているのになお、ドイツの大統領が痛切な反省の弁を述べることに、「さすがだな」と思うとともに、最近のヨーロッパで、再び反ユダヤ主義が蔓延して来ていることへの危機感も感じさせられる。

 またオランダのマルク・ルッテ首相もアムステルダムの追悼式で、ナチスドイツの言いなりだった大戦中のオランダ当局の行動について「当時の政府の行為について謝罪する」と表明。「全体として、私たちがしたことはあまりに少なかった。十分に保護せず、助けず、認識しなかった」と加えた由である。

 もっとも、ヨーロッパでも、ロシヤやポーランド、オランダなどを含めて色々意見の違いもあるようだが、それを越えて、ホロコーストへの反省や謝罪が未だに続いてなされていることに、日本人はもう少し注目すべきではなかろうか。

 同じようなアジアにおける帝国主義的な侵略戦争を起こし、ナチス・ドイツとも同盟を結んでいたた日本は、過去の過ちに対してどのような態度をとっているのであろうか。韓国に対しては何回謝れば済むのかと開き直ったり、賠償問題は既に済んだことであり、いつまでも繰り返すなとして、経済問題で嫌がらせをしたりと、居丈高に振舞って、もはや謝罪の必要もないものと思っているかのようである。

 関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者らを追悼する式典に、小池都知事が3年連続で追悼文の送付を見送るなど、むしろ逆行した動きも見られる。あの虐殺には一般の市民だけでなく公権力が関与していたのにである。

 加害は忘れやすく、被害はいつまでも忘れられないことは、子供が池の蛙に石を投げるイソップの話でもよく分かる。原爆の被害で日本人もよく知っていることである。上記のヨーロッパにおける七十五年を経たユダヤ人虐殺問題に対する謝罪や反省の態度と、日本のそれがのあまりにもの違うのに驚かざるを得ない。

 戦時を実際に体験した者にとって、旧帝国の皇軍が如何に現地調達を旨とする野蛮な軍隊であり、慰安婦問題だけでなく、朝鮮人や中国人を同じ人間として認めず、如何に多くの人たちを強制労働に駆り出し、如何に多くの無辜の人々を虐殺したか、直接当事者から聞かされたことを忘れることは出来ない。南京大虐殺も現実にあり、当時日本人は旗行列をして祝ったのである。

 安倍首相は戦争を体験したことのない日本人が最早謝る必要はないと言っているが、35年間アウシュビッツミュージアムの館長を務めたカジミエシュ・スモレンさんが今を生きる若い世代に「君たちに戦争責任はない。でも、それを繰り返さない責任はある」と、語りかけている言葉を噛みしめるべきであろう。

  被害の歴史とともに、恥ずべきものであればこそ、加害の歴史も忘れずに、世代を超えて正しく引き継ぎ、正しい道への指標とすべきではなかろうか。