四大陸から家族集まる

 私の家族のことで恐縮であるが、娘が二人ともアメリカに永住してしまい、上の娘がニューヨークにいて子供はいないが、下の娘はロスアンゼルスにいて三人の孫を育てた。

 いつしか年月が経つと、孫たちも成人し、それぞれの道を歩むようになった。三人それぞれに、一人はロサンゼルスに、一人はワシントンDCに住み、もう一人はイギリスに渡り、そこで暮らしている。

 たまたま、この六月にイギリスの孫が日本へ来ることになったのだが、南アフリカ出身のボーイフレンドと一緒にやって来た。彼はイギリスの空港で働いているが、孫の友人の友人だったという関係らしい。

 そこでふと考えて見ると、下の娘はロサンぜルスから帰って来ているし、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカの三大陸からそれぞれにやって来て、アジアの日本へ集まることになったわけである。これまでは、我が家族は娘たちが二人ともアメリカへ行ってしまって、日本とアメリカでバラバラになっていると思っていたら、孫の時代には、さらにバラバラに世界に拡がってしまっていることになる。

 私は子供の頃に、地球儀を見せられて、太平洋の西の端の真っ赤に塗られた小さな島国を指さされ、これが日本だと教えられたことを覚えている。こんな小さな島に当時の人口7000万もの人が住めるわけがないだろうなどと言われながらも、まさにそこにこそ、私はじめ、家族も親戚も皆住んでいるのだなあと思ったものであった。

 その時には、広い地球の他の地域の国にも同じように人が住んでいるのだろうと想像はしたが、自分や家族がそんな外国に住むなどということは考えられもしなかった。当時の日本はまだ戦前で、東洋の孤児と言われていた時代であった。アメリカもヨーロッパもはるかに離れた遠い夢の中の国で、たとえそこへ行くことがあったとしても、そこに住むことなど考えられもしなかった。

 戦後になって、1960年代初めに、私がアメリカに留学した時でさえも、まだ飛行機は高くて貨客船で太平洋を渡った時代だったので、アメリカへまた来る機会ももうないかも知れないという気がしたものであった。

 ところが、娘たちが成人したと思っていたら二人ともいつの間にかアメリカに行き、アメリカ人と結婚し、アメリカに永住してしまった。時代が変われば世界も変わるものだと思っていたが、時が経ち今度は孫たちの時代になると、最早それぞれに好きなように暮らしてもらうより仕方がない。年寄りはもう黙って成り行きを見守るだけである。

 長く生きていると、思いもかけないことが見られるものである。世界の動きもそうだが、身近な家族も思いもかけぬ程に変わるものである。更に、今後の世界となれば、家族もどんなに変わることか、想像もつき難い。人の移動も、人々の交流も時代とともにどんどん盛んになっていくことであろう。

 孫たちを見ていると、私たちが国内を移動するような軽い気持ちで、大陸間も気軽に飛び回っている感じである。友人がアメリカにも、ヨーロッパにも、日本にもいるようで、時間があれば、気の向くままにあちこちに移っているようである。

 この先、曽孫の時代ともなれば、どうなっていることだろう。我が子孫はもっと拡がってしまっているのだろうが、もっと気楽に集まれるようにもなってもいるのかも知れない。そこまで見届けるわけには行かないが、想像を逞しくして楽しみにしたいものである。