老躯の衰えかた

 父親が九十四歳でなくなった時、随分長く生きたものだな、自分はそこまで生きられるだろうかと思ったものだったが、いつの間にかもうその年齢に達してしまった。

 戦争の嵐を潜って来た私は、若い頃は四十二歳の厄年まで生きれれば十分だと思っていたが、カミサマはなかなかそんなことを許してくれなかったようだ。もっと浮世の苦労をしてこいとおっしゃったようである。

 特段、健康に注意した生活をして来たわけでもなく、好きなように生きてきた方だが、どうも寿命に関係する一番大きな要素は遺伝的なことのようである。長寿の研究などをしている人もいるが、目標はせいぜい百歳ぐらいで、寿命は長ければ長いほど良いものでもない。

 問題は長さではなく、内容であろう。寝たきりになったり、認知症になって、いつまでも死ねないのは本人が一番困るし、ゆとりのない社会では、その負担が問題となる。

 とは言っても、年とともに体が衰えていくのは、いわば生理的な現象で致し方ない。年と共に次第に若い時のようにはいかないことを感じさせられる。若い時は何でも素早くこなせたものが、何でもゆっくりしか出来なくなって行くのをどうしようもない。

 食事も早食いで誰よりも早いのが自慢でさえあったが、今では、家族で食事をしても、どうしても終わるのが一番遅くなる。道を歩くのも、昔は人を追い越して歩いていたのに、いつの間にか皆に追い抜かれるのが普通になってしまっている。

 老眼も進むし、耳も聞こえ難くなる。匂いも鈍くなり、味覚も悪くなる。筋肉の萎縮や衰えも進む。八十歳代の時に同じ年の友人と一緒に温泉に浸かった時、友人の尻の筋肉の衰えに驚かされたことがあったが、今や己も同じ運命にある。

 こう言った経年的変化とも言える老化の進み方の上に、長い生活の中で繰り返してきた事故や病気といった個々の出来事も、少しづつであっても、傷跡のように一段一段と、老いを進め、その両者の蓄積が老化を進めることになるのであろう。

 若い時の帯状疱疹の後も未だに微かに残り、その部分の皮膚の触覚が鈍くなっている。五十代で起こった左目の黄班浮腫の傷跡は今も中心暗転として残り、偏側視野障害となり立体視が効かない。  

 年とともに、小さなアクシデントも増えて来ているようで、八十七歳に心筋梗塞になり、退院直後に副交感神経反射による失神で再入院。九十歳で階段で滑って転倒、救急入院。以来夜間の行動制限、外での飲酒禁止にしてきたが、九十一歳の暮れには、脊椎管狭窄症で急に間欠性跛行となり、仕事を止めて、一年足らずで何とか回復はしたが、以来、念のための杖歩行になっている。

 更には、九十四歳で突然排尿失神を起こしたかと思えば、4−5日後には悪寒戦慄に続く不明高熱が起こり、幸いコロナではなく4−5日で回復したというようなことも続いている。

 どうもアナログな経時的な徐々に進む老化の進行に、繰り返される種々のエピソードによるデジタルな老化が積み重なって老化が進んでいくようである。いつまでもつか。成り行きに任せるより仕方ないであろう。