ラジオ体操

 八十歳で毎日の仕事を辞めてから、仕事へ出て行く回数も減り、朝の時間的余裕も出来たので、健康維持のことも考えて、毎朝のテレビのラジオ体操をすることにした。

 それから殆ど毎日、特別なことでもない限り、今日までずっと続けてきた。旅行をした時にホテルの部屋でしたこともあった。八十代の頃は、毎月一回は箕面の滝まで早朝に行くことにしていたが、その日も池田の駅から走って帰って、ラジオ体操の時間に何とか間に合わしていた。九十歳を過ぎた頃からは流石にそれは無理になったが、滝からの帰り道に、竜安寺の公園で地域の人たちがやっている体操に参加させて貰ったこともあった。

 ラジオ体操は我々の小学生時代からあったが、忘れられない思い出は、箕面小学校の六年生の時、夏休みに毎日校庭で朝六時からラジオ体操をやっていたが、同級生で、箕面の滝勝尾寺の中間にあった「政の茶屋」の子供の大塚君が、山道を通って片道ゆうに6〜7kmはある学校まで、皆勤で出席していたことである。小さな子供によく出来たものだなあと今でも感心して思い出す。

 それはそうとして、ラジオ体操については、もう一つ、始めてから暫くしてからのこと、何かのきっかけで、腕立て伏せをしてみると、一回でもなかなか腕で上体を押し上げられないではないか。これではいかんと思って、それ以来、腕立て伏せを始めとする自己流の等尺性運動も、ラジオ体操の前に行うことにしたのであった。

 こうして、今では朝食や洗面を済ませてから、先ずはこの等尺性運動をしてから、テレビのラジオ体操をすることにしている。

 テレビのラジオ体操では、現在、三人のリーダーが日替わりで指揮をとっているが、長い間続けていると、その三人のやり方の違いなどが見えて、それも興味深い。

 一番古くからのリーダーは、少なくとも、十五年以上は続けてられているので、もういい年齢であろう。決まった第1、第2体操の他に、それぞれのリーダーによる体操が入るのだが、今やラジオ体操を毎日しているのは俄然年寄りが多いであろうから、そのことを踏まえて、なるべく老人にもついていける様な運動を取り上げているのがよく分かる。

 さらに最近は、徒手体操の本質に迫ろうとするのか、単純だが、その肢体の動きがどの筋肉の働きにどのように効果的か、運動生理学の原点に帰ったような動き方、理にあった単純な動きを色々試みてられているようで、哲学的な境地に達した動きとまで言えそうである。

 以前には、もう少し若い男性のリーダーの方もおられ、手拭いを使った体操をいつもしてられ、後継者かなと思っていたが、何年か前に辞めてしまわれた。徒手体操は本来、字の通り、何も用具を使わない徒手空拳でする体操であり、あるいは手拭い体操が問題になったのかなと勝手に想像したものであった。

 現在の2番目手のリーダーは中年の女性で、テレビの他の番組で、もっと動きの大きい流動的な運動のリーダーもしてられる様である。私の勝手な思いかもしれないが、第二体操を始める時いつも「躍動的に」と言って始めるのが特徴だったが、先任者の方は、何かこだわりでもあるのか、決して「躍動的」という言葉を使わないのが気になった。

 また手拭い体操のリーダーの後釜として、2−3年前から加わった若いリーダーは、若いだけに、速い大きな動き方の体操が多く「決して無理をせずに、出来る範囲で、楽しんでやりましょう」と言うが、年寄りにはついていき難い様な運動までさせられる傾向にある。第一体操などは「ゆったりとやりましょう」と言っているから、本人いとってはいささかまどろっこしいのかも知れない。

 それぞれに特徴があって面白いし、長年の間の、この番組の内容の変遷も興味深い。昔は男性がリーダーで運動を見せるのは女性と決まっていたので、いつも女性蔑視番組だと影で文句を言っていたが、そのうちに、女性のリーダーも出てきたし、運動の手本を見せる方に男性も加わり、障害者にも配慮して、椅子に座った人の運動も見せる様になったなど、色々工夫の跡が見られ、時代に合わせた努力の跡が見られる。

 この10分だけの体操の直接の効果については色々意見の相違もあるであろうが、毎朝、決まった時刻に、決まった軽い運動をすることによって、1日の始まりが決まり、気分が整えられることが一番のメリットではないだろうか。