今様二宮金次郎

 敗戦までの旧大日本帝国の小学校には、どこでも校門を入ったあたりに二宮金次郎銅像が立っていた。大抵は、その隣ぐらいに奉安殿があって、教育勅語が収められており、その前を通る時には、お辞儀をする様に言われたいたものであった。ところが、戦後になって奉安殿が全て撤去されたのに伴い、殆どの二宮金次郎像も消えてしまった。

 従って、今の子供や若い人の中には、二宮金次郎と言っても知らない人も多いのではなかろうか。二宮金次郎という人物が本当に存在していたかどうかは知らないが、昔は金次郎といえば、貧しくて忙しく、薪を背負って仕事をしながらでも、本を読んで勉学に励んだということで、生徒や学生などの手本として、無理をしてでも勉学に努めよという象徴として、毎日顔を合わせられる様にと、殆どの学校の目立つところに建てられていたのであった。

 先日、何処だったか田舎のとある広場で、昔どこかの小学校にあったのであろう二宮金次郎像に出会し、小学校の頃を思い出したが、二宮金次郎は勉学の勧めで、何も軍国主義とは直接関係がないのに、奉安殿とともに戦前の軍国主義教育の象徴とされたのか、一緒に撤去されてしまったのを哀れに感じたものであった。

 しかし、最近は、金属製の二宮金次郎像ではなく、生きた今様二宮金次郎があちこちで見られる様になって来たのをご存知だろうか。現代の金次郎は薪の代わりに大きなリュックを背負い、本の代わりにスマホを見ているのである。

 勤め人のリュックは阪神大震災後に流行り出した様だが、今や多くの勤め人が利用しているのは、大型で四角いリュックで、パソコンや書類が入れやすい様になっており、中にはパソコン用のバッテリーまで備え付けられているものもある。

 もう昔のサラリーマンの定番であった手提げカバンより、リュックの方が多くなったのではなかろうか。まさに今様二宮金次郎である。ただし、背中のリュックは薪に代わる仕事用のものだが、スマホでは本と違って必ずしも勉強しているとは限らない。電車の中でチラチラ盗み見してみると、友達や恋人などとLINEでやり取りしている人もいるし、夢中でゲームに興じている人も結構多い。

 また、リュックは手提げカバンと違い、込んだ電車の中では他人の邪魔になるので、車内放送でも言っているが、リュックは逆に胸元に抱える様に逆向けに掛け、リュックの上から顔をを出して、リュックの上でスマホを見ている人が多い。

 現代の二宮金次郎は昔のそれと似てはいるが、果たして皆のお手本になるものやら。それより大きな荷物を背負って、パソコンを見ながら満員電車で出勤する姿を見ると、姿は変われど、今も変わらぬ通勤する人達の過酷な労働条件に変わりないことが確かめられる。

 今も昔も、二宮金次郎は勉学の勧めというよりは、過酷な状況のもとで働く庶民の姿の象徴している様な気がしてならない。