国による「いじめ」

 沖縄の本土復帰50年ということで、新聞にはそれに関する読者の声なども多く寄せられている。それを読んでいると、いたたまれない気分になるのは私だけであろうか。

   五十年已まぬ「虐待」母国より

という句が載っていた。悲惨な沖縄戦で4分の1の同胞を亡くし、米軍の軍政下の過酷な生活を27年間も強いられてきた沖縄の人々が、やっと本土復帰が出来て、これでやっと平和な生活に戻れるだろうとした夢を、無惨にも打ち砕いた五十年だったのではなかろうか。

 沖縄戦当時の司令官が自決直前に、最後に大本営に伝えた電文は「沖縄県人はよく戦った。どうか将来特別のご配慮を!」というようなものだったとも聞いている。それが復帰後五十年経っても少しも反映されないどころか、「已まぬ母国からの虐待」とはあまりにもひどい。

 「かたえくぼ欄」には「沖縄に在日米軍基地の70%」とあり、それに対して「都道府県は四十七と習ったよーー小学生」というのがあった。それまで本土にあった米軍基地まで、なるべく沖縄に移して、国民の目からなるべく米軍の存在を薄くし、安保条約や日米地位協定による憲法を超える米軍の存在を国民の目から逸らそうとしてきた日本政府の政策が、沖縄の人々に本土の人たち以上の負担を強いているのである。

 声欄にも「この島は一体何に復帰したのか」という文もあり、「県民世論調査では、沖縄と本土にはさまざまな格差があるとの見方が89%だった。平和憲法下への復帰にチムドンドン(胸の高鳴り)した日から明日で50年。一体、この島は何に復帰したのだろうか。チムワサワサ(胸騒ぎ)を隠せない。」と書かれていた。

 また、米軍再編交付金子育て支援策への流用を指摘して、税金を使った権力の濫用であり『「アメとムチ」で沖縄の人たちを分断する「いじめ」と言えないか』という声や、沖縄の人に「沖縄の人たちは、あっけらかんとして明るいよね」といったら「うん、生きていくためにはね」と聞いて絶句するとともに、この一言で沖縄の皆さんが、堪えてきた大変さがわかったような気がした」というのもあった。

 憲法改正などと騒ぐ以前に、せめて日米地位協定を平等な協定に代えるようにし、本土と沖縄の格差をなくすことが政府が今求められている最低限の使命ではなかろうか。どこかのSNSで見た、諸外国の米国との基地をめぐる協定の比較表を参考のため載せておく。