人間の勝手な動物愛護

 最近は犬を飼ってる家が増えた。それも昔のように、庭の犬小屋に寝かせ、残飯で飼育して、鎖に繋いでいるようなのは時代遅れで、今では例外なく殆どの人が家の中で、家族の一員のような飼い方をしているのが普通である。

 昔は防犯用に飼う人が多かったので、中型から大型の秋田犬や雑種犬、ブルドッグ、コリーやシェパードなどが多かったが、今では愛玩用に飼う人が多いので、小型犬が多くなり、それも昔のような雑種犬は少なくなって、血統書付きのような犬が普通となり、プードル、ポメラニアン、チワワ、テリア、ダックスフンド、狆などといった種類が多くなった。

 もう殆どが家族同然の存在なので、情が移り、食事も専用のドッグフードで、家族と一緒のおやつもあるし、入浴や美容もヒト並みで、散歩も欠かせない。病院や美容院にも連れていかねばならない。外へ行けば他の犬に対する見栄もある。服を着せられ、せっかく匂い付けしても忽ち、ボトルの水で消され、便もすぐに片付けられる。

 最近は街角でも、赤ん坊を胸に抱いているのだとばかり思っていたら、すれ違い時に見たら犬だったり、ベビーカートに子犬が乗せられているのを普通に見るようになった。散歩で子犬が主人の歩調に合わせて、それこそ猛スピードで短い足を動かしているのを見かけることもある。

 あれでは大変だろうなと思っていたら、逆に、もっと歩きたくても、主人の都合や思いやりで、疲れただろうと抱かれたり、ベビーカートに乗せられたりもするわけである。他の犬と出くわした機会に、犬友が出来るのは良いが、長いおしゃべりを待たねばならないことにもなる。おしゃれだと言って、主人だけが喜んで、窮屈で、熱い服を着せられたりもする。

 人間は可愛がっているつもりでも、人と犬では生理も違うのである。犬からすれば迷惑千万だが、飼って貰っているのだから人の合わせるよりない。客観的には動物愛護の積もりが「いじめ」になっていることもあるのではなかろうか。

 朝日新聞の歌壇にこんな歌が載っていた。

    ”洋服を着て抱っこされ散歩する犬の哀しさ人の幸せ”(熊谷市・飯島悟氏)

 もう家族の一員で可愛くて仕方がないので、無理やり抱きしめられたり、直接キスされたりすることもある。ソフトクリームを途中で犬に舐めさせて、またそのまま自分が食べている女性を見たこともある。あそこまですると病気の感染の恐れも出てくるのではなかろうか。

 犬を飼っている人が多くなるに連れて、犬の種類も次第に高価な犬が多くなる傾向もあり、そうなると立派な血統書付きの伝統的な大型犬を散歩させている人も時々見かけるようになった。大きな見るからに気品のあるグレートデンドーベルマン、コリー、シェパードなどはやはり見るだけでもノーブルな感じがするものである。

 犬小屋も、今ではホームレスの人間を嘲笑うような豪華なものまであり、1千万円もする二部屋のお犬様御殿が新聞に紹介されていた。 

 また最近の高齢社会を反映して、孤独な年寄りが犬を飼うケースが増えたので、家族の一員として愛するペットのため、あらかじめ老後の飼育資金を確保するとともに、買主の病気や死去のための対策として、ペットのための「わんにゃお信託」なるものも出来、飼育費用や遺言書を準備、資金管理を信託会社に任せ、NPOが里親へ繋ぐことまでしてくれるようなものも出来ているようだが、信託に500〜600万円?かかるとか。動物愛護管理法改正で「終生飼養」の責任が明確にされたことが関係しているそうである。

 人間社会の勝手な買い方で、犬の「犬権」は守られているのだろうか。動物愛護と言ってもあくまでも人間社会での、人間のための動物愛護だということも抑えておくべきであろう。