オーストラリアに定住した日本人

 オーストラリアに定住して40年になる日本人の金森マユ写真展を阪大の総合学術博物館で見た。「定住とはなんだろう:オーストラリア」という副題がついていた。

 移民大国であるオーストラリアの人口はは現在2,600万人らしいが、私が子供の時に覚えたのは僅かに500万人であった。まさに移民大国であり、全人口の3割が外国生まれだそうで、日本人も約10万人が暮らしているようである。

 金森氏は、東京生まれだが、生まれた土地を離れ、別の場所に定住するとはどんな意味を持つのかと問いかけながら、これまでに日本からオーストラリアに渡り、定住した人々の過去と現在、未来を探ろうとして、過去の定住者などの足跡をたどり、琴を弾く友人、踊りをする友人の三人で日本人墓地を調査し、訪れて供養をし、その保全にも努めてられるようである。

 オーストラリアへの最初の日本からの移住者は明治になる直前に、曲技団を引き連れて興行に出かけた人で、現地の女性と結婚して、後半生を彼の地で送ったようである。

 それ以後のことについては、私が子供の頃に習った記憶では、未だ貧しかった日本は、多くの人の出稼ぎで外貨を稼いで国の収支のバランスをどうにか取っていたようで、そのため南太平洋からオーストラリアにかけては、男は真珠採取、燐鉱石採取などの出稼ぎ、女は「からゆきさん」に行く人が多かったとされていた。

 この写真展にもそうした歴史に絡んだ多くの定住者の足跡を示したものであった。ただ、それに加えて、戦時中の捕虜収容所の悲惨な脱走事件の犠牲者、数百名の墓標も見られた。過去の歴史がわかるだけに、遠く故郷を離れて、未だ未開の土地であった昔のオーストラリアでの生活が思いやられ、それぞれの人の運命が愛おしく、心に深く染み込ませながら展示や映画を見せてもらった。

 新聞で開催を知り、近くなので見に行ったが思わぬ拾い物であった。