移民は取り合いに(移民争奪戦)

 バブル崩壊以来の産業の停滞が続き、少子高齢化による労働力の減少が起こり、女性や高齢者の活用が進んでも、今後とも、ますます人口の減少が続くことは避けられず、労働力を維持して産業の持続的な発展を続けるためには、国内だけでは賄い切れず、外国人を受け入れて労働力を確保しなければならない事態は既に始まっている。JICAの推定では2030年には63万人の労働者が不足するという。

 ここ2〜3年、コロナ流行の影響で多少変わっているであろうが、日本で働く実習生は約40万人とも言われ、日本経済、特に地方の農業や製造業には不可欠の存在になっている。気がつけば既に日本は移民大国になっており、今後もますますこの道に踏み込んで行かざるを得ない運命になっているのである。

 日常生活の中でも、近くのコンビニでも、農村へ行っても、何処でも外国人労働者を見かけることが珍しくなくなっている。日本政府も移民政策を検討したり、移民庁の創設まで考えられたこともあったが、その後、安倍政権は「中長期的な外国人財の受け入れは移民政策と誤解されないように」として積極的な移民には反対している。

 政府はあくまでも労働力の補充としての、出稼ぎ労働者を受け入れても、外国人の移住については否定的なようである。スリランカのの女性の入国管理庁の収容所における死亡事故からもわかるように、日本滞在の外国人の保護は極めて厳しいのが現状である。

 しかし、日本の人口減少が進むとともに、韓国でも、もっと厳しい人口減少が既に始まっているし、中国も一人っ子政策の結果として必然的に人口減少が始まっており、近い将来に労働力の不足が問題になるであろうことは必定である。同じ人口減少でも、それぞれ事情は異なるであろうが、何処も労働力不足を補うためには、ある程度外国人労働者に依存しなければならないことになろう。

 そうなると、移民の取り合いが起こることになるのではなかろうか。如何に優秀な移民をより多く確保するかの競争となる。

 優れた移民をより多く受け入れるためには、移民の待遇如何が一番の問題となるであろう。経済的にも大国となった中国は市場も大きいだけに、いつの日にか大量の移民が押し寄せる日が来ることも考えられる。そうなれば、東南アジアの諸国からの移民は日、中、韓などでの熾烈な奪い合いという事態も考えられる。それに対する対処をもそろそろ考慮しておくべきであろう。

 韓国でも93年に日本の技能実習制度をまねた「外国人産業研修制度」を導入して、外国人労働者を研修生として受け入れを始めた。しかし、日本への実習制度同様、訪韓のために高額の手数料を仲介業者に払い、大きな借金を抱えることになり、その上、労働現場では低賃金で、窮して職場を飛び出すなどの問題が起こり、ひどい時には失踪率が60%以上にもなったようである。

 そこで、韓国では2004年から雇用許可制度に切り替えられ、国同士が送り出しや受け入れの責任を持つようになったそうである。その結果、労働法や人権の教育、住環境の用意などを整えた企業に、優先的に雇用許可書を発給し、仕事内容が雇用契約と違ったり、パワハラを受けたりした場合には、職場を移れるようにした由である。その結果、訪韓費用に100万円近くもかかったのが、飛行機代とビザ代ぐらいになり、労働者として法令で保護されることにもなり、賃金も上がり、賃金未払いなども減り、失踪者も激減したそうである。

 それに対して日本では、今なお外国人労働者の半数近くが技能実習制度の留学生であることからも分かるように、日本社会に必要な働き手として正面から受け入れず、あくまでも定住につながる「移民」を避けて「外国人」と呼び、法や権利の上で国民との格差を正当化しようとしている。言葉や文化の壁がある上、労働条件や権利が不十分な状況に置かれ、新型コロナウイルスの感染が広がると、真っ先に職を失ったのが技能実習生だったということにもなった。

 日本でも、以前の韓国同様多額の借金を払って来日したが、安い給料と職場環境に耐えられず、失踪する人が後立たず、その上最近はコロナで仕事が途絶えたが、コロナ禍による減便やチケットの高騰で帰るに帰れず、仲間で助けあて困窮生活を続けている人たちも多いようである。

 もともとこの島国は閉鎖的になりやすく、人種差別なども強いので、国内の外国人にも日本を構成する一員だという意識に乏しく、「日本では外国人はニューヨークなどと違い、本当に多国籍に生きていない。用を済ませたらさっと帰る場所。観光客も他に住んでいて帰るまでの場所。『中継地』の感じ」だと、香港、韓国、欧州などで映画を撮るクアラ・ルンプール生まれのリム・カーワイ監督は言っている。

 ここらで日本も少し変わらなければならないだろう。本来、日本人は大陸や南方など、多くの場所からの移民の交流によって成立した民族であり、社会の発展はいろいろ多彩な遺伝子を持った種種雑多な人々の交流によって進むものである。人口減少のこの機会を”新弥生時代”として、移民する人たちにとって魅力のある国を目指し、積極的に有能な移民に出来るだけ多く来て貰い、新たな新日本人を創生することが、この国の将来の発展の礎になるのではないかと思う。

 先日、我が家の電気温水器を新品に取り替えたが、その時、工事に来ていた会社のベトナム人は日本語も達者で、日本語で車の免許証も取った人だったが、頭脳明晰で、説明も的確な優れた青年であった。言葉のちょっとした訛りで初めて外来人と判ったのであった。

 日本の将来の助っ人として、是非このような優秀な外国人に多数移民として来て欲しいものである。日本が生き残るためには、政府に早くそのことに気付いて貰い、それに応える態勢を整えて欲しいものである。