老人の一日は忙しい

 若かった学生の頃はどうかすると、放っておけば昼まででも寝ていた私だが、世間の波に揉まれて朝早くから働かねばならない年月を過ごすうちに、いつしかすっかりそれに慣らされてしまって、歳をとるにつれて朝早く目が覚めるようになって、今ではとうとうも3時半に起きるようになってしまった。

 夜も昔は真夜中の12時を過ぎると、かえって目が覚めて、頭も冴え仕事も捗ったものだが、今や7時のニュースを見ているうちに、はや眠くなってしまい、もう長らく夜のテレビドラマなど見たこともない。

 そんなに早く寝て早く起きてどうしているのかと心配される向きもあるかも知れないが、老人にとってはそれはそれで結構忙しいのである。午前3時半になると、最近とり変えた新しい i-Poneが静かなメロディーで起こしてくれる。ゆっくりと起き上がって服を着替えたところから、途端に急に忙しい老人の朝が始まる。

 先ずはトイレに行き、その足で書斎へ行って、ヒーターとパソコンの電源を入れ、パソコンが立ち上がり、部屋が暖まる間に、洗浄液につけていた入れ歯を取り出して洗って装着し、3部屋を巡ってそれぞれの雨戸をそっと開ける。

 終われば、書斎に戻ってパソコンを見始める。先ずはメールから見る。私用のメールは少なくなったが、ニュースや薬屋さん、医学関係のメールなどが結構多い。見出しだけで消していくのが多いが、面白そうなニュースや医療関係のクイズなど、つい開いて読んでしまうことにもなり易く、結構時間がかかってしまう。

 次いでインスタグラムでアメリカにいる孫たちの動静を伺い、自分のブログのページを開いてチェックする。それが終われば、フェイスブックTwitterを見るのがいつもの流れとなる。

 そんなことをしているうちにすぐ5時近くになってしまう。慌てて階下に降り、朝食をとるが、朝刊を見ながら大急ぎで済まさなければならない。この後、トイレを済ませ、6時前には居間へ戻って運動を始めなければならないからである。

 80歳頃から続けている、腕立て伏せから始まる自分流のアイソメトリック主体の運動を約40分で済ませ、6時25分から始まるテレビのラジオ体操に繋げているのである。体操が終わればやれやれで、こたつに入って新聞の論説記事や特集記事、小説などを読み、数独等があればついそれに挑むことになる。この正月からは娘の勧めでリコーダーの練習もごく短時間しなければならない。

 そこまで済ませば、ここで寝室に上がって一休み、1時間足らずのナップを取る。これがないと後がうまく行かない。いつの間にか習慣になってしまっている。その後、日曜日なら、起き上がったら今度はテレビの日曜美術館を見る、これはもう長い間欠かさず見るようにしている数少ないテレビの番組である。10時に終わってまた書斎に戻り、パソコンに向かって、朝の続きをしたり、自分のブログの原稿を書いたり、時には私信を綴ったりということになる。

 そんなことをしていると、すぐにもう11時になる。我が家の昼食の時間である。あっという間に午前が終わり、冬はそれからどこかへ散歩に出かけることになる。近くの時は良いが、少し遠出をしたりすると、午後ははそれで忽ち消えてしまう。

 すぐにもう夕飯となり、早い冬の日は暮れてその日は終わり、忽ち寝る時間となり、1日が終わってしまう。こうして老人の1日は慌ただしく終わってしまい、1日がこう忙しくバタバタと過ぎてしまと、その繰り返しで、あっという間に1週間も過ぎてしまう。

 毎朝ラジオ体操の内容が週日を知らせてくれるのだが、昨日が日曜日だった気がしていたのに、もう明日が次の日曜日ということになり、まさに光陰は矢よりも速く、老人の日々はあっという間に過ぎて行ってしまうのである。ぼんやりして何をすることもなく時間を過ごす暇もないのである。

 朝日歌壇2月20日にも、”老人が成熟しない時代来て忙しく過ぎる晩年がある(静岡 堀田 孝)”という歌が載っていた。