「2021.02.12.自発的従属論」再録

 丁度一年前の2021.02.12.のこの欄にエティエンヌ・ド・ラ・ポエシの「自発的従属論」について書いたが、現在の日本にとっても極めて参考になることであり、ぜひ一人でも多くの人に知ってもらいたいと思うので、ここにい再録させてもらうことにした。

「自発的従属論 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著 ちくま学芸文庫(ラ11・1)」という本を読んだ。著者は16世紀中頃、フランスのボルドーの高等法院に勤め、30歳代に夭折している人物である。モンテーニュが親しい友人であったので、著者の死後、この著書を何とか刊行しようとしたが、当時の社会情勢から出来ず、3世紀も後になって、フランス革命後になってやっと、革命思想の先駆けとして評価され、出版されたというものらしい。ボエシが16~18歳の頃に書いたものと言われてる。  

 短い文章であるが、内容は濃く、現代にも十分通じるもので、まさに日本の現状にもそのままでも当てはまりそうで、興味深い本である。戦後75年にもなるのに、未だに日米安保条約という不平等条約から抜けられず、稀な「親米国家」形成と、その持続の秘密ではないかとも思われる。

 著者が、人は誰でも本来は「自由」を好むはずなのに、実際には、人々は「隷属」を求めるかのように、支配に甘んじ、支配されることのうちに自由や喜びを見出し、かくも従容として隷属を選び、時として嬉々として支えるのかを、不思議に思い、そのカラクリを「人間の本性」から探ろうとしたものである。  

 民衆が隷属を甘受している圧政者には、選挙によるもの、武力により征服したもの、家柄で家系を継いでなるものなどがあるが、いずれも、人々はまず最初は力によって強制されたり、打ち負かされたりして隷属する。だが、後に現れる人々は、悔いもなく隷属するし、先人が強制されてしたことを、進んで行うようにさえなる。

 そういうわけで、軛のもとに生まれ、隷属状態のもとで発育し、成長する者たちは、最早、生まれたままの状態で満足し、自分が見出したもの以外の善や権利を所有しようなどとは全く考えず、生まれた状態を自分にとっては自然なものと考えることになる。

 民衆は隷属するやいなや、自由をあまりにも早く甚だしく忘却してしまうため、再び目覚めて、それを取り戻すことなど出来なくなってしまうという。自発的隷属の第一の原因は、習慣であリ、自由を失うと勇敢さも失ってしまうようである。それに対して圧政者は、あらゆる詐術を使い、享楽や饗応で民衆を欺き、称号や、種々の自己演出、宗教心などの利用で民衆の心をつかもうとする。

 しかしそれだけではなく、圧政者をその地位にとどめているものは、常にその周りに侍る4人か5人ぐらいの追従者を小圧政者として、民衆を従える手段として利用しているのである。彼らは支配者に気に入られることで、圧政にあづかり、地位を確保しながら、圧政のおこぼれで自からの利益を得ているのである。そして彼らの下には、またそれぞれ何人かの隷従者がいて同じように振る舞い、さらにその下にはまた何人かの少数者が侍り、という具合に、自ら進んで隷従することで圧政から利益をうる者たちの末広がりの連鎖が出来、それが脆弱なはずの一者の支配を支えて、不動の「自発的隷属」体制を作り出し、これが民衆の自由を束縛する仕組みとなっている。

 こうした状況を今の日本に当てはめてみてはどうであろうか。 日米地位協定によるアメリカへの従属が、あたかも「自然なもの」であるかのような環境が作られ、政治的にも、経済的、文化的においてさえ、アメリカに追随し、アメリカを範とし、アメリカのようになることが理想のように求められてきたのが戦後の日本である。

 更には、アメリカの威光を自分たちの権力行使の後ろ盾にしたり、そこに利益と安逸を見出す者たちにとっては、この体制は「自然」なものであり、他者にまで「日米関係が危ない」などと圧力をかけて、日本全体に従属を押し付ける者さえいることになる。ラ・ボエシはこういう者に対し、卑怯よりも卑しい、名指されない悪徳と言っている。

 但し、これらの圧政者の周りにいる者も、大変なのである。農民や職人は隷属していても、言いつけられたことを行えばそれで済むが、圧政者に媚びへつらい、気をひく連中は、言いつけを守るだけでなく、彼の望む通りにものを考え、彼を満足させるために、その意向をあらかじめ汲み取らなければならない。、従うだけでは十分ではなく、気に入られなければならない。絶えず言葉や合図に注意を払い、望みを忖度し、考えを知るために、自分の目、耳を動かし、それに応えるために、いつでも手足を動かせるようにしておかねばならない。

 日本の政治家や官僚たちの姿が目に浮かぶようではないか。それでも、圧政者の愛は持続しない。いつ放り出されるかわからない。トランプ大統領のポチと言われた先の首相をはじめ、過去の政治家たちがアメリカにどれだけ気を使ってきたことか。ひとつ間違えれば、田中角栄や、鳩山、小沢内閣のような例もある。圧政者の周りに仕える者も、果たして幸せだと言えるであろうか。

 政府が必死なって、沖縄の米軍基地問題で象徴されるような、日米間の不平等や、それに基づく多くの矛盾を糊塗して隠しているので、一般の国民の中にも、あたかも日本とアメリカが対等な同盟国で、アメリカの「核の傘」が日本を守ってくれるので、平和な生活が送れているのだと感じている人も多いのではなかろうか。自発的隷属は日本の隅々まで行き渡っているのかも知れない。

 日本の将来はどうなるのであろうか、先行き短い老人にとっては、いかなる希望も、見ることの出来ない死後の世界のことになるだろうが、やはり一生を送ったこの国が、自発的隷属を絶って、国民が自主独立した国で、希望を持って発展する日を夢見ないではおれない。