日本型謝罪

「ご迷惑をおかけしました」「不愉快な思いをさせました」と言って社長などが神妙に雁首を揃えて深々と頭を下げる。それが日本の会社などが不正を行ったり、過ちを犯した時に、屡々テレビなどで見られる風景である。

 一見誠意のある謝り方だと理解しがちだが、繰り返し見せつけられるうちに、どうせ企画もので、建前のことをやっているだけだと認識が変わって来る。つまり、悔しみや悪いことを反省しているのではなく、自分の経済利益を守るために、やっている芝居に過ぎない。

 事実を調べ、それが社会的正義や法に違反しているかどうかにより謝罪、処罰、賠償となり、再発防止の策定に進むのが基本的な行動指針ではなかろうか。ルールによる判断を下さないまま、世間や相手の心情に謝罪する。謝るが、自分の非を認めたわけではないので、将来また同じことを繰り返すことになる。

 事実を調べ、間違っていなければ謝罪など不要である。事実であり、誤っておれば、謝罪、処罰、賠償し、再発防止の手を打つことになるが、日本では先ずは、世間や相手の心情を思ってまずは謝罪するが、基本的なことは後回しになる。ひどい時には謝罪だけで済ましてしまおうとし、再び過ちを繰り返すことさえある。

 SSNで中国の人が日本人について書いている中に、“有小礼而无大义,畏威而不怀德”というのがあり、そういう印象がだんだん広まっているとかである。どういう意味かと言うと、“日常の細かい面ではかなり礼儀正しいが、根本的、原則的な問題に関わってくると、そうでなくなるし、強権に怖がり、徳がない”ということなのだそうである。

 原発における事故といい、関電の役員たちの失態、その他の不祥事件などの報道を見ていても、一斉に頭を下げて謝罪しても、やがてまた同じようなことを繰り返していることが多い。第三者から見ても、謝罪で頭を下げなくても良いから、きっちり処罰すべきは処罰をして責任を取り、必要な賠償を怠らず、実際に再発を防止する手を打って欲しいと思うことが多い。