「曾孫がいないのが寂しい」

 私の父は90歳を超えた頃から時に「曾孫がいないのが寂しい」とこぼしていた。どうも友人の話などから大勢の孫やひ孫に囲まれた話を聞いて、我が家の現状では、子供が五人もいるのに孫が少なく、ひ孫が一人もいなかったことを嘆かわしく思っていたのであろう。

 親父の老年期には、まだ昔からの家族形態が続き、多人数の家族が普通だったから、九十歳にでもなれば、大勢の子や孫、ひ孫の囲まれている家が多かったのであろう。ところが戦後のベイビーブーム時代を過ぎてからは、少子高齢化時代となり、次第に家族の状態もすっかり変わってしまった。

 我が家の場合でも、父親の兄弟は三人、母親の兄弟は六人で、我々の世代も私の兄弟は五人、女房も五人姉妹、親戚は父親の方は一人だけだったが、母親の方の従兄弟は、男女合わせて二十三人もいた。

 ところが、私の子供の世代になると、姉に息子が二人、兄とすぐ下の弟は子供に恵まれず、下の弟の子供が二人、親の代から言えば二人が五人になり、次の世代が四人、その先の孫の時代は三人だけ、それも皆アメリカ人ということになり、我が家は日本では消滅ということになる。

 私はそれでも何ら構わないと思っているが、私の友人にも、未だ子や孫に囲まれた大所帯の者もおり、いつだったか、大家族に囲まれてにっこり微笑んだ老人の写真を誇らしげに見せられたことがあり、それもやはり良いものだなあと思ったものであった。しかし、それも今ではもう昔の良い時代のノスタルジアに過ぎない。

 私が子供の頃は日本の人口は7千万人。それでもこんな小さな島にこんなに大勢の人を養えるはずがないと言って、南米や満蒙への移民が進められていたものであった。それが戦争になると、兵士は幾らでも要るので、「生めよ増やせよ」の号令がかかり、日本最高の十四人子供のいた白井さん?だったかが表彰されたものだった。戦争で多くの国民が動員されると、人手不足が深刻になり、朝鮮半島や中国大陸から大勢の人たちを連れて来なければならなかった。

 ところが今度は戦争が終わると、海外から大勢の人が帰って来ただけでなく、戦後のベビーブームで人口爆発が起こり、人口も忽ち1億を超え、小学校をいくら作っても足りないこととなった。その頃までは、まだ大家族制度の痕跡が残っており、年寄りも大勢の子や孫に囲まれて大事にされていた最後の時代であった。

 それから先は、今度は少子高齢化の時代となり、子供の数は減り、やがては結婚しない人も増えてくる始末。子供が少なければ、当然孫も減り。孫が減れば、折角多くの老人が長生きするようになっても、最早、大事にしてくれる家族がいなくなり、ましてや、曽孫なども期待出来ないことになってしまった。

 私は還暦を過ぎてから漸く初孫を持ったので、孫の成長も最後までは見切れないのではと思っていたぐらいなので、今さら曽孫を期待するわけではないが、孫たちが皆成人してしまうと、そろそろそのうちに孫たちが結婚して、いつの日にか、どんな曽孫が生まれるのだろうかと微かに夢見ないわけではない。果たしてどうなることやら。広い世界の何処で、どのようなことになるやら、夢を見ながら死んでいくことになるのであろう。