車椅子で無人駅利用は「わがまま」か

 電動車椅子で生活するコラムニスト伊是名夏子さん(38)が、無人駅である熱海の来宮駅を利用しようとした時、小田原駅の駅員から一時「案内出来ない」と言われたことをブログに書いたところ、それは「わがまま」だと言う批判が多く寄せられた。

 現場を見ていた人が「実際には書いていたようなものではなく、もっとひどいやり取りだった」とか、「メディアを呼ぶなどまでして」とか、「無人駅に4人の駅員まで集めて、駅員が可哀想だ」とか、「熱海駅まで乗れたのだから、それも『合理的な配慮』をしてもらったのではないか」とか、本人や子供たちが待合室の椅子に寛いでいる写真をアップしているのもあったし、「僕には貴方がわざと無人駅で騒動を起こしてるとしか思えないですね」と言うものまで、SNS上での書き込みが多くみられた。

 おそらく、こういった反応は、強く自己主張する人への反発があるように思われる。「普通の人だったら駅員に『来宮駅無人駅でエレベータもないから案内できません』と言われたら、「仕方がないか。それなら熱海で降りて、タクシーでも頼むか」と言うところだろうが、「厚かましい」とか、そこまで言うのは「わがまま」だとか言う感情に根ざしているのではなかろうか。

 しかし、考えて欲しい。世の中にはいろいろな人がいて、それで成り立っているのである。引っ込み思案で大人しい人も、積極的に何でも主張するする人もいるし、大勢に従って、付和雷同人たちもいる。そうした中で、劣悪な条件の中でも積極的に改善を主張する人がいるから、世の中は改善されていくのだとも言えよう。障害者が身体的なハンディを背負って日常生活上、平素どれだか苦労しているかを想像してみよう。その上で、伊是名さんの主張を聞いてみて欲しい。

 「1970年代の障害者運動のとき、『車椅子は電車・バスに乗れません』と乗車拒否された車いすユーザーたちが、声を上げ続け、電車に乗れるようになり、エレベーターができました。今回もその流れと同じだと私は思っていて、声を上げないと、何も変わらないと思っています。」

「今回私が声を上げられるのは、障害者差別解消法という法律があるだけでなく、40年以上も前から、電車やバスに乗るために運動を続けてきた先輩障害の方々のおかげです。私がいま電車やバスに乗れたり、ヘルパー制度が使えたり、車いすが支給されるのもその先輩方の運動のおかげであり、私もそれを守るため声を上げていきたいです」と言ってられます。

 これを聞けば多くの人が納得されるのではないでしょうか。来宮駅の管理をする熱海駅も、駅長の判断で4人の駅員を集め、来宮駅で80キロもある電動車椅子を担いで階段を下ろし、本人はヘルパーさんが抱えて降りたそうで、帰りも4人の駅員で対処したそうである。

 こういった対応は確かに合理化が進み、人手不足なJRの現場の職員にとっては大変である。そうかと言って障害者に対しても、普通の人と同じようにサービスするのは当然であり、伊是名さんの場合が特例であってはならない。他の乗客に対しても、同様な対応をすべきであることは言うまでもない。

 JRの合理化をいかに進めるかはJRの問題であるが、いかなる人に対しても平等にサービスすることが、JRの合理化などを含めた経営の前提となるべきで、顧客にその皺寄せを押し付けるべきではないことを皆で理解すべきであろう。