こんな事もあった若い頃

 長い間もうすっかり膨大な記憶の海の中に沈んでしまっていて、殆ど思い出すこともなかった事柄も、何かのきっかけでふと思い出すことがあるものである。何の拍子に思い出が蘇ったのかは知らないが、先日、私が未だ若い頃のある小さな出来事をふと思い出した。

 昭和30年頃の事だったと思う。詳しい経緯はもう忘れてしまったが、場所は今のJR天王寺駅の東の方にあった陸橋である。今でも残っているのかどうか知らないが、阪和線の高架の下を潜って、駅の方へだらだら坂を上がってから、直角に曲がって、今の環状線や関西線のホームを右手に見ながら線路を跨いで、南側にある近鉄のデパートとJRの駅の間の道路に通じる陸橋があった。

 当時は天王寺駅の西寄り、阿倍野橋に近い方は賑わっていたが、東寄りは未だ今のようにビルが連なっていたわけでなく、鉄道病院が東の方にあったぐらいで、いわば場末の感じであった。

 従って、その陸橋も平素はあまり利用されていないかったので、夜など駅やホームの灯に照らされるぐらいで、薄暗い橋であった。そんな所にどうして行ったのか覚えていないが、恐らく、寺田町寄りの何処かから、この陸橋を通ってJRか近鉄、もしくは地下鉄の駅までショートカットで行こうとしたのであろう。夜と言っても未だ宵の口の頃だったが、もう暗くなってからのことであったのは確かである。季節は覚えていないが、寒からず、暑過ぎないような頃だったような気がする。

 どういう関係だったのか、今では名前も年齢も顔も何も覚えていないが、兎に角、女性と一緒に歩いていた。その女性を駅まで送ろうとしたのだったのであろう。

 当時は未だ今より世相も落ち着いておらず、時にはまだ追い剥ぎや強盗も出没している頃だった。今より物騒であった。案の定、暗い陸橋を進んでいくと、途中で橋の欄干にもたれていた男が二人暗闇から現れて近づき「わしら未だ飯食ってないねん。奢ったってんか」と言ってきた。

 捕まった以上ここは踏ん張らねばならない。弱味を見せてはならない。咄嗟にどうしたものか考えた。暗い陸橋の上である、下は線路がいくつも走っている。こんなところで争っては危険である。それにこちらは女連れである、しかもハイヒールを履いている。逃げる訳にはいかない。落ち着いて開き直るよりない。

 内心ビクビクであったが、落ち着いて「今細かいのを持っていない、橋渡ったところででも両替するからついて来いや」と言って歩き出した。二人の男は我々を挟んで両側に並んでついてくる。女性は怖がって私に縋り付くようにしてくる。私は平静を装って堂々と歩く。

 陸橋は案外長い。歩きながら二人の人物を確かめる。暗くてはっきりはしないが、二人ともそう悪人ズラはしていない。本当に仕事に溢れでもしてお金がなく、夕飯にありついていないのではなかろうか。あまり沈黙が続くのもまずいと思って、「あんたら仕事は何してんねん。」と声をかけると「鳶や」という返事。

 そうこうしているうちに陸橋を渡り切った。もうここまで来れば大丈夫。そこそこ人通りもあるし、街灯も並んでいる。陸橋の上のような危険な場所でもない。近くに売店のような所で灯りがついていったので、そこで千円札を百円に潰して貰い、百円を一枚づつ渡してやる。「ありがとう」と礼を言って二人揃って逃げるように走り去っていった。

 やれやれ、それでおしまい。その女性とどう言って、どう別れたのかは、全く覚えていない。医者になりたての頃だったのだろうか。こんな話は恐らく誰にもしていないだろうから、いつしか記憶の奥底に沈んでしまって、長い間、思い出す機会ももなかったようである。