新聞のオピニオン欄に無人駅とバリアフリーというフォーラム(2020.11.29.)があった。全国の駅の40%以上が無人駅だそうである。それを読んでいて思った。
車社会になり、道路が整備されると、鉄道輸送の効率が悪くなり、国鉄までが民営され、各私鉄も合理化が進むと、乗降客の少ない駅などでは、効率の悪い人員配置が真っ先に見直されて、無人駅になるのは仕方のない世の趨勢であろう。
昔は改札口と言えば、駅員さんがいて、乗降客の切符を切ったり、回収したりしていたものであった。懐かしい昔の駅の風景が思い出される。単線の路線の駅では、対向車とすれ違う時には、印に鉄の輪のようなものを交換するようなことも行われていたこともあった。それも、もう遠い昔のノスタルディアになってしまった。
車が増えて乗客が減ると、列車の回数が減る。列車の回数が減ると、不便なので余計に利用者が減るという悪循環になって、経営を維持するにはどこの鉄道会社も、合理化を進めなければ経営が成り立たなくなる。
こうして鉄道会社の合理化の結果が、無人駅をどんどん増やし、いつの間にか半分近くにまでになってしまったのであろう。今や機械が発達して、切符売り場も、改札も自動になれば、あとは列車の運行に関することだけなので、踏切をなくしたり、警報をつけたりして、安全に配慮した設備を整えれば、一応の無人駅の態勢が出来上がる。
ただ残る問題は、乗客が種々雑多な人間であることである。仮に「標準的な」人間だけが乗客であれば、それで済むことでも、乗客である人間が多様なので、全ての人に満足して利用して貰うためには、その人間のそれぞれの多様性に答えることが必要となる。
段差をなくして、スロープをつけたり、手摺をつけたり、エレベーターを設置したり、列車とホームの間隙や段差を小さくするなどの物理的なことは解決出来ても、いわゆる身体障害者などの安全確保ということになると、どうしても人の助けが必要になる場合が残る。
そうかと言って、稀にしかない障害者に対する援助のためだけに人員を一人配置するようなことは出来ない。仕方がないので、あらかじめ予約して貰い、その時だけ駅員がやって来て対応することになる。それが精一杯の出来ることではなかろうか。しかし、それでは身障者に不公平である。当然誰もが予約しないでも、同じように乗り降り出来る条件を整えるべきである。
ただし、それに答えるだけの体力は鉄道会社に求めても、最早無理なのではなかろうか。会社にとって出来ることは、いっそ、その駅を廃止してしまう合理化ぐらいしか考えにくいことになるのではなかろうか。しかし、それでは住民、ことに障害者の生活に影響することになるのは当然である。
これを解決するには、もはや鉄道会社と乗客だけでは解決は不可能であろう。視点を変えて、身障者を含めた住民の生活の問題として、鉄道の利用を考えるべきであろう。鉄道の利用が地域の住民にとって必要であるならば、地域も駅の運営に関心を持って、対処法を考えるべきではなかろうか。
そうすれば、例えば、駅舎を公民館とか図書館、あるいは役場にでもして、もし援助が必要な人が生じたら、その場にいる人が援助するといったことも考えられるのではなかろうか。コンビニなどに駅舎を貸すのも良いかも知れない。
いずれにしろ鉄道と乗客だけでは解決出来ない問題でも、そこで暮らす住民のために地域が関与すれば、解決の展望も開けそうに思われるが、どうであろうか。