コロナとあしで流れた一年

 昨年(2019年)秋に脊椎管狭窄症になり、間欠性跛行に苦しむようになってから、もう丸一年以上経つ。病院でMRIを撮って貰ったのが、確か12月1日であった。あの時は家から病院まで、途中で休み休み行ったものだった。病院が見えているのに、休みを入れて、ゆっくりしか歩けなかった。その時の歯がゆかった気持ちを今も覚えている。

 幸いMRIの検査で、骨には異常なく、靭帯なども正常で、殆ど変化がなかったので安心したが、症状はなかなか良くならない。年が変わってから、もう一度受診して相談してみようかと思い、1月の半ば頃から病院に電話で予約しようとしたが、何度かけても混んでいるのか、再診の電話が繋がらず、特別に急ぐ状態でもないので、またかけ直してみようと思って、延び延びになっていた。  

 ところが、そのうちに突然コロナが流行りだしたのだった。これでは、病院の混み合った外来に行くのは、コロナを貰いに行くようなことになり兼ねない。危険だろうと考えて行くのを中止した。

 歩く方は余計に具合が良くないようで、2月初めに、それまで続いていた労働者の健康相談窓口へ出務する約束をしていたので、出掛けようとしたが、その時が一番悪かった。用意をして家を出たものの、電信柱毎ぐらいに立ち止まって休まなければ、足が痛くなって動けず、とうとう池田の駅までも辿り着けず、途中からまた電信柱毎に休んで、漸くの思いで家まで帰り着いた。仕方がないので電話で約束を断り、それを機会に、迷惑をかけることを恐れて、その後の仕事も辞めた。

 もっと若い時であれば、仕事を辞めても困るし、社会も認めてくれない。仕事を続ければ、感染の恐れも大きくなるところだったが、脊椎管狭窄症のおかげで、仕事を辞める良いきっかけともなったし、結果として、感染を避ける良い手段ともなった。

 足が悪いので辞めざるを得なかったのだが、幸か不幸か、コロナの感染の恐れからも逃れられたことになった。それ以後は、以前にも書いたように、ダブル・スティックを使ったり、シルバーカーを買って、それを押して歩くようになった。年齢のことを考えると、もう元のように歩けるようになるのは無理だろうと思ったが、歩けないと困るので、意識して歩くことは続けるようにした。

 仕事を辞めて時間の余裕が出来、仕事の責任も全くなくなって、1日家にいるので、時間は充分出来た。世間でもコロナのためStay Homeというので丁度よかった。それ以後は、年齢のこともあり、一年間、社会的な活動は殆ど何もしないで過ごしたことになる。

 何もしないで一日家にいると退屈だろうと思うが、そうではない。朝起きる時間が余計に早くなって、3時半には起きる。その頃はテレビで、外国の山や、都会のトラムの旅だとか、クラシックの演奏や、バレーや演劇の舞台などを見せてくれている。それらを見ながら起き上がり、まずは書斎へ行ってパソコンの電源を入れる。

 パソコンが立ち上がる間に、服を着替えてパソコンの前に座り、先ずはメールのチェックから始まり、インスタグラムでアメリカの孫などの動静を見、TwitterFacebookでニュースを見たり、知人の情報を得たりし、それが済むと、今度は自分の Blogを確かめる。そんなことをしていると、いつの間にか忽ち5時を過ぎてしまう。

 慌てて階下へ降り、新聞をとって、朝食。急いで朝食を済ませ、新聞を持ってトイレへ行き、戻ると、次は自己流のストレッチ体操と、それに続いてラジオ体操をし、終われば顔を洗って、新聞の論説などを読んでいると、忽ち7時半過ぎになる。

 この頃になると決まって眠気が襲って来る。ベッドに戻って、30分ぐらいナップをとる。目が覚めて、また書斎に戻り、パソコンの続きをする。やがて、九時となり、わが家のお茶の時間である。ここまでが毎朝のルーチンと言っても良いであろう。

 その後は、日によって違うが、一日のプランとしては、また歩けなくなっては困るので、必ず何処かへ出かけることにしている。その他は、パソコンでブログを書いたり、Photoshopで写真をいじって作品を作ったり、絵を描いたり、変な工作物を拵えたり、何やかやとしたいことは多い。ギャラリーを覗いたり、音楽を聴いたり、買い物をしたり、図書館へ行ったり、映画を見に行ったりと、人混みを避けて外へ行くこともある。そんなことをしているうちに、たちまち日が暮れて、夕食ということになる。

 夕食が済んで、しばし、テレビのニュースなど見ていると、もう寝る時間である。朝が早いので、当然寝る時間も早い。七時のニュースが済めば、もうベッドに潜り、本でも読んでいると、たちまち睡魔に襲われて眠ってしまう。これで、あっという間に一日が終わってしまうのである。

 歳をとると動作が遅くなるし、道具立て一つにしても時間がかかるので、大したことをしなくても、あっという間に時間が経ってしまい、なかなか、ゆっくり座ってテレビを見る時間もない。ましてや、若い時に夢見た、大河のほとりに座って、悠々とした水の流れを、心いくまでゆっくりと眺めながら過ごすようなことは、歳をとっても出来ないものだということをつくづく体感させられている。

 時間は歳をとるに比例して、加速度がつくかのように、あっという間に1日が過ぎ、一週間、一ヶ月が経ち、一年もたちまち過去のものになってしまう。中でも、今年はコロナと足のダブル・パンチのおかげで、特別早く過ぎ去ってしまったように感じる。

 来年は昔風に言えば、私はもう94歳、90代ももう半ばということになる。もう、いつ死んでも後悔はない。成り行きに任せて行くしかないし、またそれが一番良さそうである。