新聞に Vertial Reality(VR)による舞台の話が載っていた。180度撮影出来るVRカメラを2台、人間の眼球と同じ6〜7センチ離して置いて同時に撮影すれば、編集で立体的に見える。これをゴーグルで見れば、普通に外界を見ているのと同じような感じで目の前の高k理を眺めることになるので、見ている人に没入感を与えて、生々しい体験感を与えることが出来るというものである。
これで見ると、立体感があって、臨場感が強くまさに場面が迫ってくることで、避けられない体感があるようである。自分は動けないで、全て向こう側がアクションを起こしてくるという感覚がすごく面白いそうである。
まだデータの容量や、長く見ていると乗り物酔いのようになることなど問題もあり、まだ発展途上のようであるが、技術の発展とともに、全く新しい映像の世界が生まれてくることになりそうである。
しかしこうなると、デジタルの世界でも現実でも、振る舞いを決めるのは自分ではないことになり、繰り返しVRの世界を押し付けられる間に、現実の世界と、デジタルの世界の境界が曖昧となり、現実の世界がヴァーチャルな世界の影響を大きく受けることになるのではなかろうか。
現在でも多くの映画や演劇が色々な問題を表現し、それを見た観客がそれぞれに感情移入して、それぞれに影響を受けているが、VRに繰り返し晒すことにより、VRがあたかも現実のごとく感じられ、現実とVRを見誤ることも起こりかねないのではなかろうか。
VRが進むと、それによる影響は、自分ではどうにもならない現実にいる自分が、それに似た自分ではどうにもならないVRの体験を押し付けられ、現実との区別が曖昧になり、両者を誤認しかねない世界を彷徨い、VRに押し流されて現実を誤ることにもなりかねない恐れを感じる。
恍惚な場面に没入させることを繰り返せば、現実にも無意味なな幸福感や恍惚感を得られやすくなるかも知れない。睡眠療法やその他の精神療法などに利用されると、新しい心理的な治療の領域にも応用出来る可能性も考えられる。
現実の世界では、人々はいじめやハラスメント、種々の葛藤、恨み、妬みその他、そこまでいかなくても、色々なシチュエーションで悩みを抱えているものである。現在でも、多くの映画や演劇が色々な問題を表現し、観客はそれぞれにそれに対応しているが、VRが進むと、その影響はこれまでよりはるかに現実と近くなるだけに、大きくなるであろう。
良いことばかりとは限らない。VRで繰り返しいじめられたり、従順さを強いられていると、現実社会でもそれに慣れさせられ、当然として受け容れさせられてしまうことにもなりかねない恐れもあろう。
もっと悪いことを考えれば、犯罪や残虐行為の訓練に用いられることであろう。VRによる洗脳である。昔、初年兵が中国の前線に送られて来ると、古参兵が戦争を体験させ、慣れさせるのだとして、無辜の住民を適当に拉致して来て、杭に縛り付け、銃剣で刺し殺させたことが行われたが、VRで何回も繰り返しそういった場面を見せられれば、現実との違いがあやふやになり、残虐行為もあまり抵抗なく出来るようになるのではなかろうか。
VRは戦場に赴く前の兵士の訓練として利用される可能性も大いに考えられそうである。人殺しのVRを繰り返し見させられれば、現実に近いだけに、感覚が麻痺して、実際の人殺しもあまり抵抗なく行われてしまう恐れもあるであろう。
どんな技術にしても、それを利用するのは人間であり、モラルの原点は人間性にあるのだが、これまでの歴史を振り返った時に、人間は必ずしも、技術の良い面だけを利用してきたわけではないだけに、新しいVRの技術も、使いようによって良い面と悪い面のあることを、あらかじめ、しっかっり抑えておくことが必要だと感じる。