取り残された小さな日本人

 毎月一度は箕面の滝まで行くことにしてきたが、秋の紅葉を見るために、11月だけは別にもう一回、昼の時間帯に、行くことにしてきた。

 週末は混んでいるから避けて、今年は11月17日の火曜日に出かけた。ところが、箕面の駅を降りて驚いた。平日なのに、駅前広場は人で一杯である。何事かと思って見ると、吹田市のハイキンググループであろうか。大勢がそこで集まって、箕面の山へ出掛けるようである。紅葉が見頃なので、その他の人たちも多い。

 秋晴れで、あまり天気が良いので何処かへ出掛けたいところだが、コロナが怖いし、人混みは避けたいので、手近な所ということで、箕面は例年以上に人が多いのかも知れない。紅葉はまだ少し早いぐらいだが、月の初めよりはずっと鮮やかになっている。

 これだけ人が多いと、人混みの中を滝道を行くのは嫌なので、川の反対側の裏道を行くことにした。それでも追い抜いていく若い人や、降りてくる人などが結構いた。それでも、滝道のようなことはないと思っていたら、途中で少し休んでいる時に気がつくと、すぐ後ろから大勢の団体客が長い列を作って上がってくる。先ほどの吹田の連中である。それを避けるため道端に避けてやり過ごす。

 マスクをしている人が多いが、マスクをしていない人も結構いる。お互いにぺちゃくちゃ喋りながら歩いている人たちも結構いる。あれではクラスターも起こりかねないのでは、などと思いながら、集団が通り過ぎるまで待っていた、こちらが老人なので、具合が悪くて休んでいるのかと思い、「大丈夫ですか」と声をかけられたのには驚いた。

 一団が通り過ぎても、立ち止まって喋っている男が二人いたので、見ていると、団体の世話係のようで、遅れて上がってくる仲間が来るのを待って、最後を確かめて後について上がっていった。団体の世話は大変だろうなと同情する。大勢の中には色々な人がいて、横道へそれたがる人や、遅れて来る人などが必ずと言っているものである。

 そんなことを思いながら団体が去った後、少し距離をとって進んで行った。やがて、百段近い長い階段を降りて、しばらく行くとこの道は橋のところで滝道と合流する。そこからは嫌でも大勢の人と一緒になる。しばらく行ったあたりで、初め私は気がつかなかったのだが、滝道から来た小柄な老人が一緒になっていて、女房に声をかけた。私を見て同じ年頃かなと思ったらしい。

 「90ぐらいですか」と。女房が92歳と答えると、「私も92歳」と言う。私が引き取って、「同じ年ね、昭和3年。何月生まれ?」と聞くと「10月」「と言う。「私は7月生まれ、3ヶ月早いね」と。相手が小さいので、「女房がやっぱりあなた方ぐらいの人は戦争で大きくなれなかったのね」と言うから、それを伝えると「昔は152センチあったが、今は4センチ縮んで148センチ。あんたは164〜5センチ位かね」と聞き返す。小さい人から見れば私でも大きく見えるのかも知れないと喜んだが、正直に「158センチ」と教える。

 お互いに小さくて、同じ年だということを確かめると、急に親近感が湧いてくる。爺さんも元気で、結構速く歩いている。「お互いに元気でなあ」と言って別れた。

 最近の日本人は平均して背が高くなったものである。一頃は若い人だけの現象だったが、最近はそういう人達がもう歳をとってきたので、中年の人まで、日本人は皆、背が高くなってしまった。戦争を知る世代はもう時代遅れになってしまい、背の低い我々二人の卒寿翁だけが、背の高い新日本人の中に、取り残された感じとなってしまった。

 まだ六〜七十代の頃、同級生たちと一緒に歩いているのを見た女房が、「あなたぐらいの年代の人は皆そのぐらいの背格好の人が多いのね」と言ったことがあったが、私の年代でも私は小さい方ではあったが、同じ位の者は幾らでもいた。

 前にも書いたが、私の若い頃は、電車のドアにつかえるような人は西洋人と見てよく、日本人でそんな人を見たら「ウへー」と言ってびっくりしたものだったが、今ではそんなのは日常当たり前の光景になってしまっている。

 最近は女性でも、ドアにつかえる背の高い人も見かける。もう随分前のことになるが、日本で始めてミニスカートが流行った頃は、日本の女性はまだ6頭身ぐらいの人が多く、足も大根足と言われていた頃なので、何も背の低い女があんな格好をしなくてもいいのにと思ったものだったが、最近の若い女性のスタイルの良いこと。八頭身は当たり前だし、足がスラット長く、見ただけでも惚れ惚れするようなスタイルの女性が溢れている。

 いつの間にか時代が変わってしまった。もう90歳も過ぎれば、骨董品のようなものであろうか。昔は憧れに過ぎなかった”理想的”な体格の人が、現実の人達の平均的な姿になったしまったと言っても良いぐらいである。

 大勢いた同年輩の友人たちも、もうあらかた死んでしまって、会う機会もなくなっていたところに、ひょっこり私よりも小柄な同年生まれの老人と会話を交わしながら、周囲を歩く多くの背の高い日本人達と比べて、最早我々の世代は肉体的にも時代遅れになってしまった昔の日本人なのだなと感じさせられたのであった。