国境のトイレ

 世界のあちこちを旅行していると、思わぬ経験をするものである。詰まらないような事でも、変わったことは、断片的にいつまでも、記憶に残っているものである。小さな出来事などで、開け広げには話しにくいような事は、どうしてもそのまま記憶の奥にとどめ置かれがちであるが、思いもかけず、時にひょっこりと頭の中に浮かび上がって来るものである。

 鉄のカーテンがなくなって、漸く東西のヨーロッパが自由に往来出来るようになった、20世紀の終わり頃の話である。オーストリアのウイーンから、ハンガリーのブタペストへ行った時のことである。国境は自由に通れるようになったところであったが、まだ通関などの手続きに慣れていないためか、随分時間がかかった。

 そのため、待っている間のことであった。ただし、尾籠な話になることを許されたい。その間に、トイレに行った時のことである。トイレは清潔であったが、入って驚かされたのは、蓋のない便器の中に、人の前腕ぐらいの太さも長さもある、巨大な便塊が横たわっているのである。誰かが流し忘れていったものであろう。こんなに大きな便塊を見たことがない。どんな巨人が残していったのであろうか。余りにも大きいので、流れないのだろうかと思った。

 私のものなど、歳をとったためもあるかも知れないが、親指の太さぐらいしかないが、それとは全然比較の対象にもならない大きさである。世の中の人間の体格のばらつきは、外見だけでも、余りにもと言って良いぐらい大きい。最近は身長が2メートルを超えるような人も見かけるようになったが、反対に、かってインドの空港で見たネパール人らしき人達のように、家族が皆揃って1メートルぐらいしかない人たちもいる。

 体重にしても、昔アメリカにいた時には、私と女房を足したよりも重い人が同僚にいたことを思い出す。反対には、餓死寸前のような骨と皮だけのような避難民の姿も見られる。体格にそれだけ差があれば、当然、食べるものも、出すものも、それに伴って違ってきて当然であろう。 

 そう考えれば、この国境のトイレで見たものも、いちいち多くの人の排泄物を調べているわけでないから知らないだけで、決して特別なものではなく、単に世界のトイレで流されている、想像を超えてバラエティに富んだ排泄物の一つに過ぎなかったのかも知れない。

 そうは言うものの、未だに、それを見た時の「あれが同じ人間のものか」という強烈な印象は、いつまで経っても忘れられないものである。