玉砕を辞書で引く子

 例年8月は広島、長崎の原爆記念日、15日の敗戦の日などがあり戦争についてのニュースや記事が多くなる時であるが、最近の朝日新聞の俳句欄に "玉砕を辞書で引く子終戦日” という句が載っていた。これを見て、つくづく時の流れ、時代の変化を感じざるを得なかった。

 成る程、もう敗戦から75年も経ったのである。我々の年代にとっては、忘れようと思っても忘れられない戦争の記憶も、今の子供にとっては、生前に起きた、古い過去の歴史上の一つの事実に過ぎない。

 もう実際に戦争を体験した者は我々より年上なので、もうあらかた亡くなっている。戦後に生まれた団塊の世代がもう75歳で、後期高齢者になるのである。戦争を知らない世代の親から生まれた、今の子供が「玉砕」などと聞いても、何のことかわからないのは当然であろう。

 敗戦を終戦と言い、退却を転進、全滅を玉砕と都合の悪い言葉をすべて言い換えて来たので、余計に分からないようになってしまっている。戦争のことを全く知らない人が、いきなり玉砕と聞いてすぐに分かる方が不思議であろう。

 戦時中にアツツ島の玉砕を聞かされた時の、それこそ血の滲むような無念の思いを感じさせられた時の感慨は今でも忘れられない。当時あった軍人の行動規範を定めた戦陣訓の「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という文言からも分かるように、軍人は降参して捕虜となるより、自決して死ぬことを選べ、とされていたので、北の孤島での戦闘に敗れた兵隊は一人残らず死んで、全滅したということであった。この全滅を玉砕と言ったのである。

 明治維新から敗戦の日までが77年で、およそ戦後の長さと同じである。私が子供の頃の感覚では、明治維新と言えば、もう古い歴史上のことで、近代の日本の始まりであり、そこから営々と積み重ねてきた結果が大日本帝国であったという理解であった。維新とはどういうことだったのか、革命とどう違うのかなど、分からなかったのと同様に、今の子供にとって玉砕と言われても、何のことか分からないのは当然であろう。

 玉砕によらず、戦争自体が今とは関係のない、もう古い昔にあった出来事で、それと自分がどういう関係にあるのか、意識して調べ、考えなければ分からない時代が来てしまっているのである。日本とアメリカが戦争をしたことすら、知らない子供がいると聞いて、びっくりしたことがあった。

 しかし、あの誤った時代、朝鮮半島や中国大陸で行われた侵略戦争、それに続く太平洋戦争、15年も続いた暗黒で悲惨な歴史の教訓を無にしてしまってはならない。将来のこの国の人々の幸福のためにも、世界の平和と発展のためにも、まだ生きている我々や、戦争の話を聞いて育った世代の者が、この戦争の教訓を次世代に語り伝えていく義務があるのではなかろうか。